「自分を愛せない」あなたへ。神示が教える、全ての愛の、始まりの教え
「どうして、自分は、こうなのだろう…」 「もっと、できるようにならなければ…」
他人に対しては、優しく、思いやりを持てる時でさえ、自分自身に対しては、あまりに厳しく、批判的になってしまうことはないでしょうか。
心の奥底で、常に自分を責め、自己否定を繰り返してしまう。
その、静かで、しかし、終わりのない、自分自身との戦いに、疲れ果ててしまってはいないでしょうか。
多くの人が、「自分を愛する」という言葉に、どこか、気恥ずかしさや、「それは、自己中心的な考えではないか」という、罪悪感を感じてしまいます。
しかし、神示は、私たちが、自分自身との関係を、根本から見つめ直す、全く新しい視点を示してくれています。
まことの「自己愛」とは何か
まず、神示は、私たちが陥りがちな誤解を、はっきりと解きます。 神が示す「己を愛する」とは、己の優れた点を誇り、他者より優位に立とうとする、ナルシシズムや、我欲のことでは、断じてない、と。
では、まことの自己愛とは、何なのでしょうか。 神示は、その本質を、こう示しています。
己を、卑下(ひげ)するな。 そは、己を創りし、神そのものを、卑下するに等しき、大いなる過ちと知れ。
つまり、本当の意味で「自分を愛する」とは、 己という、この不完全で、未熟で、時に愚かな過ちを犯す、その存在の全てを、「それですらも、神が、この世に、ただ一つとして、お創りになった、かけがえのない、尊き神の子なのだ」と、絶対的に、受け入れ、許すこと。
その、自らの魂に対する、深く、静かなる「敬意」と「信頼」の姿勢。
それこそが、神が示す、まことの「自己愛」なのです。
宇宙の、大いなる順序
なぜ、これほどまでに、「己を愛する」ことが、重要なのでしょうか。 それは、全ての愛は、まず、己を愛することから始まる、という、宇宙の、絶対的な順序があるからです。
心に、安らぎのない者が、誰かに、安らぎを与えることはできません。
自分自身を、常に裁き続けている魂が、他者を心の底から、許し、受け入れることは、決してできないのです。
自分を愛せないまま、他者を助けようとすれば、それは、どこかで、相手からの見返りや、承認を求める、我欲の行いへと、姿を変えてしまいます。
まず、己の器を、自分自身への、絶対的な愛と、許しで、なみなみと満たすこと。
その時、その器から、自然に、そして、何の求めもなく、溢れ出した愛だけが他者の魂を、そして、世界を真に、潤すことができるのです。
どうすれば、自分を愛せるようになるのか
では、具体的に、どうすれば良いのでしょうか。 それは、自分を「好きになろう」と、無理に努力することではありません。
一日一回、夜、眠りにつく前に、自分を「許す」という、静かな習慣を持ち繰り返すことで、自己愛は育まれていきます。
その日、あなたが犯してしまった、過ち。 あなたが、嫌いだと思っている、自分のその性質。
その、一つひとつを、心に思い浮かべ、そっと、胸に手を当てて、こう語りかけてあげるのです。
「そんな、未熟な己すらも、神の、愛しき子である。今日も一日、よく、生きた。ありがとう」と。
この、静かなる、魂への語りかけの、繰り返しが、あなたの、自己否定という、固い、固い、氷の心を、少しずつ、溶かしていきます。
自分を愛するとは、自分を甘やかす、自己中心的な行為ではないのです。 むしろ、それは、私たちの魂が、この地上で果たすべき、最も、尊い務めの一つなのかもしれません。
まず、自分という、かけがえのない存在を創ってくださった、大いなる神様への、務めです。 そして、これから、あなたの人生で出会う、全ての人々への、務めでもあります。
なぜなら、自分自身の魂を、絶対的な愛と信頼で満たした人だけが、その、溢れ出した光で、周りの人々を、真に、照らし、癒やすことができるのですから。
自分を愛すること。 それこそが、あなたの魂が、この地上で、その天命を、力強く、そして、喜びに満ちて果たしていくための、最も、そして、唯一の揺るぎない土台を築き上げる、全ての始まりにして、全ての源なのです。



