「トホカミヱヒタメ」の起源と、分かち合いの精神【神話の真実に迫る・その12】
進歩する衣食住の工夫
クニトコタチやその子供たちによる指導によって、人々の暮らしはさらに向上していきました。住居は雨水が入り込まないように改良された竪穴式住居が全国に広まり、衣服も麻や植物を叩いて糸にする技術によって作られるようになりました。冬場には、イノシシやシカの毛皮を縫い合わせ、敷物や防寒具として活用していたようです。
主食である栗も大量に栽培されるようになりましたが、冬から春にかけての食糧不足を完全に解消するまでには至りませんでした。しかし、人々は限られた食糧を平等に分け合っていました。アマカミの教えが国民に深く浸透していたため、豊作の時も不作の時も、皆で助け合う精神が当たり前のこととして根付いていたのです。
分かち合いの精神と米作の黎明
その後、陸稲(おかぼ)の栽培も始まりましたが、主食がいつでも安定して手に入るという段階にはまだ届きませんでした。食糧確保のための模索が続く中で、クニトコタチはさらなる統治の仕組みを整えていきます。
話は前後しますが、クニトコタチは8人の継子を、ト、ホ、カ、ミ、ヱ、ヒ、タ、メの八方位へと送り出し、それぞれの地を治める「クニキミ(指導者)」とされました。
八方の守護者「トホカミヱヒタメ」
現代において「トホカミヱヒタメ」は、神道の最高峰の祓い言葉、あるいは願いを叶える神聖な言葉として知られています。しかし、その根源を辿れば、もともとはこの八方位を表す言葉であり、太古の占術にも用いられていたものでした。
当時の占いとは、単なる吉凶の判断ではなく、神との対話であり、自らに神を宿す神聖な儀式でした。八方を守護するクニキミたちの名が、場を浄化し、神を宿すための強い力を持つ言葉として、時代を超えて受け継がれていくことになったのです




