中央の朝廷と、国を拓いた八人の御子【神話の真実に迫る】その10

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中央の朝廷と、国を拓いた八人の御子

トコヨクニの都と拠点

初代アマカミであるクニトコタチは、まずヲウミ(近江)に宮を築き、そこをトコヨクニの朝廷、すなわち国の中心と定められました。

そして、国づくりの足がかりとして、当時から集落が多く栄えていた東北地方に自ら出向き、ハコクニ(ヒタカミとも呼ばれる)という名の国をまとめられました。その中心には宇宙の根源神であるミナカヌシが祀られ、神聖なマサカキや、国のしるしを意味するタチバナの木が植えられたとされます。

このハコクニではクニトコタチの子孫が代々長として国を治め(その長はタカミムスビと名乗った)、七代にわたって繁栄したそうです。

国づくりを担う八人の御子

中央の朝廷と地方の拠点を定めたクニトコタチには、八人の御子がいました。

クニトコタチは、その御子たちを各地に派遣するにあたり、一つの教えを授けます。それは「何をするにおいても、まず国民の生活と安全を第一に考え、国民と協力し、知恵を出し合ってこの国の発展に尽くしなさい」というものでした。

この御子たちの働きによって、栗の栽培や新しい住居の建築法といった改革は、驚くべき速さで全国に広がっていったのです。その中には、日本だけでなく海を越えて教えを広めた方もいたと伝えられています。

覆る歴史の常識

日本の歴史の常識では、文字や高度な文化は大陸から伝わったとされてきました。しかし、その認識は少しずつ変わりつつあります。

日本最古とされる文字が発見、研究され、当時の日本人の想像以上に豊かな暮らしぶりも明らかになってきました。海外にも、日本こそが世界最古の国であると考え、研究を進めている方々が多くいらっしゃいます。

いずれ、世界最古の国が日本にあったことが証明され、トコヨクニの建国理念が、悠久の時を経て再び世界に広まる日が来るのではないでしょうか。

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