進歩する縄文文明と、三階層の始まり
縄文文明の発展と集落の変遷
クニトコタチが遺した建築技術は、八方位へと赴いた八人のクニサツサ、すなわち国の指導者やその孫たちの手によってさらに発展していきました。これにより、縄文時代の中期には、より大型の竪穴式住居や、風通しの良い高床式住居も建てられるようになります。
当時の集落では、人々が円を描くように居を構えて交流しており、その中心には一族のお墓が設けられていました。私たちが考えているよりも、縄文時代ははるかに文明が進んでおり、そして長く平和な時代だったのです。
縄文の前期には大きな気候変動が起こり、海辺に暮らしていた人々は移動を余儀なくされましたが、初代アマカミやその子孫の指導のもとで新たな集落を築いていきました。あくまで初代の理念を忠実に守り、民のために必死で動く指導者たちと、国民との信頼関係は非常に厚いものでした。生活が安定するにつれて人口も順調に増え、心を一つにして皆であらゆる作業に取り組んだこの時代は、後にアマテルカミの時代にも理想の見本とされるほど素晴らしい時代だったのです。
人口増加と統治の限界
やがてトノミコトが二代目のアマカミとなり、社会や経済が安定して人口がさらに増えると、それに伴って新たな問題も生じるようになりました。
それまでは、アマカミや各地方のクニサツサが直接、集落の人々を指導していましたが、人口が爆発的に増えたことで、全員に直接目を配ることが困難になってしまったのです。
指導者と国民の間に考えのズレが生じたり、大切な信頼関係が失われたりするのを防ぐため、朝廷と国民の間を取り持つ役割の人が必要になってきました。そこで、三代目のアマカミであるトヨクンヌの時代に、しっかりとした決まりごとが作られ、それに基づいて民を指導する人々が出現することになります。これが、歴史上初めての「権威を持つ人」の誕生でした。
三階層の創設と平等の終焉
この時、アマカミは指導者たちに次のように厳しく仰せになりました。
「朝廷と国民の間に考えの相違があってはならない。アマカミが国民の心を間違って捉えてはならず、国民もまたアマカミの心を間違って捉えてはならない。もしアマカミの行うことに誤りがあるならば、それを私にきちんと伝えてほしい。君たちの役目はアマカミと国民の間の意志の疎通をしっかりと行うことであり、あくまでアマカミの代理以上にすぎない。そのことを忘れ、権威を振りかざしてはならない」
アマカミは、国民がいかに心地よく、幸せに過ごせるかを第一に考えた末に、カミ、ヲミ、タミという三つの階層をお作りになられたのです。
しかし、それまでの国民の間は誰もが平等であり、権利欲や名誉欲などは存在しない世界でした。アマカミの代理という特別な立場ができたことで、国民の間には「自分たちよりも上の地位がある」という意識が、ここではじめて植え付けられることになったのです。
※クニサッサとは
クニトコタチから始まるトの教えを正統に継承し、地上の国々を整えていく存在です。クニトコタチの直系の子孫であり、クニトコタチの掲げた国造りの方針を、実際の組織づくりや地方開拓へと具体的に落とし込み、現実の地へ広げていった開拓者です。
※トの教えとは
時代が変わっても決してぶれることのない、人間としての正しい道を示すものです。それは、心と身体を健やかに保ち、自分個人のエゴを押し通すのではなく、周りの人と譲り合い、助け合って生きることを説いています。不自然な争いをせず、天のルールに従い調和することが何よりも大切であるという、日本人の心の原点にあるような教えといえます。




