神と共に歩み魂位を高める
太古の大昔、神が日本国を建国されて以来、神は民のために稲や食物の栽培方法、調理の知恵、雨風を防ぐ家の建築方法、さらに言葉、ありとあらゆる教育をされ、そのお陰様にて今の日本ありなん。
人は神に畏敬の念をいだき、感謝し、神は民の為に少しでも暮しが便利になるよう常に考えられ、民の幸せと、衣・食・住が満たされるよう心をくだかれたり。
故にその頃の人々は、魂も美しく、食べ物や、暮らしを支える自然にも感謝とそして畏れも感じつつ生きるればなり。
かつての人間は地震や天変地異を動物が悟るように、危険を察知する能力ありなん。
その頃の人々は魂が美しく、感性が素直なればなり。
現代人は異変を察知できぬ程、魂のおちぶれぬる。
神がおられてこその日本なるに、民のことを一番に考えられたる神に背を向け、人間は神との生活など忘れさり、
独り歩きしはじめん。
神は現代人の魂は、戦国時代よりも、戦争のその時よりも、穢れるを悲しまれ、且つここまで汚れた事に、神は怒りて、立替え直しの決断をされるものなり。
今はまだ少しでも、連れ行く人々を残したしと考えられるなれば、少しずつ少しずつその現象を強くされ、人の気づきを待ちつつ行われん。
そこにあるは神の大きな愛なり。
そこにいまだ気づけぬは愚かなり。
今人が魂の位をあげるには、神の節なる御意に気づき、共に歩くことと、感謝を取り戻すことなり。
クニトコタチ様がトコヨクニ(日本国)を建国されて以来、民が暮らしに困らないよう、指導して回られたのてす。
水田稲作になってからは伊邪那岐、伊邪那美様の時代には水田耕作のやり方や、言語教育までなさったのです。
しかし現代と一緒で、暮らし向きがよくなると我欲が顔を出し、それまでの神様への御恩を忘れ、あろうことか、アマテラス様の時代には日本国はじめての反乱まで起きました。
いつの時代も、我欲が魂を曇らせます。
我や欲は人間が成長するのに必要なものです。
しかし過ぎたるは及ばざるが如し。
いきすぎた我欲は魂を曇らせるだけです。
アマテラス様のお祖父様のトヨケ様は富士に登られました。
当時の富士山は今ほど高くなく、下に広がる光景を見ながら思われたのです。
たしかに人の暮らしはよくなったが、人々の心は以前より荒んでいるように思う。
これを正すには、りっぱな指導者が必要だと・・・。
今と同じですね。立派な指導者は、魂の位の高い人でなければ、国はよくなりません。
その指導者を選ぶ国民もまた、魂が曇っていては良い指導者を選べないのです。