偽りの正義と真の浄化
人は未だ争いを捨てられぬ。一見平和に見えるこの国も内実は争いばかりなり。
そもそも、人が人を裁くことなど決してできぬ。
この世の命は皆、等しく魂を磨く途上の存在なり。
未完成なる人間が、同じく未完成なる他者を正しく裁き、罰することなどできるはずがなし。
己の足で立てぬ者、依存の内に生きる者は、己の中にある恐れと無力感を直視すること能わず。
ゆえに正しさという名の幻の剣を振りかざし、他者を罰することで己の罪悪感を誤魔化し、偽りの安心を得んとせん。
裁く側に立つことで己を正当化する。そは責任転嫁の極みなり。
正義も誤れば、もっとも鋭く厄介なる執着とならん。
今の世の嵐もまた、立て替え立て直しの必然。
永きにわたり人の内に隠し持たれてきた、人の我が、今、大いなる膿のごとく激しく噴き出す浄化の段階なり。
過ちを許さぬ不寛容の蔓延こそが、古き世が自壊してゆく終わりの始まりなり。
真に自立せし者は、己と向き合い自らを浄化し、器を広げよ。
裁きの嵐が吹き荒れる世にあっても、決して揺らがず、ただ黙して己の光の柱を立て続けること。
さなるあり方こそ、この世を真に正しき世界へと導く力とならん。




