神社に詣でよ

富士山

神社に詣でよ

日本にはどの地域にも神社あり。
心の奥に社をたて神を感じられることができるなれば、神社も鳥居も神棚も必要はなし。
なれど神は目に見えぬなれば、聖域とする神社の存在は人間には必要なり。
神が目に見えらば信じると言う者あり。なれど見えぬからこそ人が真に神を敬うや否やを見分けらるる。
霊魂とて同じなり。
お墓詣りも仏壇を拝む心も霊魂は目には見えぬなれど、心のどこかにあの世があるを想い、御先祖様が迷わず成仏できるよう自然と手を合わせるのがそもそも人間の姿ならん。
神を信ずるといくら言葉にするも神の目は誤魔化せぬ。
近代化はさらに神を遠ざけることとなりにけり。
神社も祭りも段々と数は減るばかり。
神社がその場所にあるは意味ありなん。
その場所に神社を建てよとの神の御神託ありてそこにあるを、人間の都合で勝手に場所を移すも、壊すももってのほかなり。
鳥居とて意味ありて建てらるる。
イザナギ、イザナミの神が、この世を平和に導かれんとその時代の政事の象徴としと建てられたるものなれば、聖域に入る為のありがたき通り門。
日本の神代のときから受け継るる尊き文化、そを汚すことも、無くす事も、神は許さず。
荒れ狂い、人間性の乱るる今こそ、神社仏閣に詣で聖域の気を頂き、平和を祈り、神への感謝を捧げねばならぬ。神は如何なる時も助くる者を助く 。その言葉を忘るるなかれよ。

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