信じる心・悪魔の囁き

富士山

信じる心

人の目に見えぬものへの思い様々なり。
全く否定する者、半信半疑の者、憧れ、恐れ、畏敬の念持つ者。
真に神の恵み感じほのかに神を思いて感謝の思いを抱く者。
神が目に見えるならば信ずると言う者あり。
なれど神は目に見えぬもの。
なればこそ人の信ずる心問わるるなり。
神が目に見えぬからこそ、人は見えない力の存在、人に心が存在することを認めらるるものなり。
自ら神から離るるなかれよ。
神を否定する者に神は手を差し伸べられず。
なれどいたずらに信深すぎて考え偏るもまた問題なり。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し。
神は人を見守るものなり。なれど間違い多かれば試練与え、気付きを与えんとす。
時には奇蹟を起こすこともありなん。
そも、神の信号、神の奇跡と気づくか、単なる偶然と感ずるかにて道は分かれゆきなん。
神の存在は人には見えぬもの。
見えぬからこそ、心から神を信ずるか否か、はっきりと映し出さるるものなり。

2008.6.30

悪魔の囁き

人は自然、宇宙、全ての万物事象と一体なるを真に知るべし。
人の肉体は星と同じ成分にてつくられり。
そして行動は月に良くも悪くも大きく影響を受けるものなり。
月の満ち欠けは生命を左右せん。
月と地球の位置関係は心と体に作用し、時には悪魔の囁きのように心を揺らすことさえありなん。人を殺したい衝動、盗みたい衝動、慢心、油断湧き起こりて事件事故事象起こりゆく。
さなる感情を理性で抑え、信仰心にて心の中の悪魔を追い祓うも修行の一つなり。
なれど、魂穢れ心病む人間増えなば、悪魔の心抑えきれず己の中の悪に負けし者も多きなり。
悪魔の囁きに負けるなかれ。心揺れる時、荒ぶる時ありても、神思いてその心を抑え、己の中の悪魔追い祓えよ。
最後に人を救うは真の信仰心なり。

2008.7.1

タイトルとURLをコピーしました