本当の信仰
人はいつも迷うものなり。苦しむものなり。
さなる時人は神を求むる。
目には見えず、声も届かぬゆえ人は神を求め、あるいは否定し、己に良きことありなば神の力を讃え、不幸ありなば、この世には神も仏も無いと言う。
人にはこの世の修行あり。
人それぞれに見合いし行与えられん。
魂穢れ、修行足りぬ者程、辛く厳しき行となるらん。
苦しきこと、悲しきこと耐え抜き乗り越えてこそ、人の痛みも悲しみもわが身の痛み悲しみとして捉える事ができるものなり。
この世の修行厳しきなり。
されど、心一つで全て変わるものなり。
心が歪み、意固地なるものは時に神を慕いて敬うなれど、あまりに強き信を持つがゆえに、ただ一度の不幸にても神を恨み、偏った考えに陥る者もあり。
神は常に人の傍におられ、見守られん。
あまりに強き偏った信は人から見れば奇異に見え、余計に神を遠ざけるなり。
心優しく穏やかな人は神が傍におられる事を当たり前のように感じ、神こそ全てと考えるになく、いたずらに神を求むるになく、されどいつも感謝の気持ちを抱く。そのような穏やかな信こそ神を信ずると言うことなり。
神の存在を人から遠くさせしは金品取り上げる宗教。自称霊能者、その類の者の我欲、執着たらん。
神と人はいつも離れず歩みゆくものなり。
修行は身体を痛める厳しき修行になき。
自らさなる修行いたす者あるが、神は喜ばれず。
神から与えられし行を素直に行じ、いつも感謝を忘れず手を合わせ祈ればよけれ。
人への感謝、親、先祖への感謝、神仏への感謝忘れなければ、必ずや神の加護あり、導きあるものなり。
2007.6.14
神の闘い
今、地球の危機なる時、未来知りたくば今の地球を見よ。
病みゆく地球を見よ。
さすれば答えはおのずとわかろうぞ。
今の地球の瀕死の姿こそが人類の姿なり。未来なり。
虫、魚などの異常発生、あるいは大量死は地球の危機を告げん。
神は自然を作り、あらゆる動物植物を程よく保ち、全てを狂い無く調和させたるを。
なれど、ある動物植物は全滅の危機にあり。
狂いし波動は自然形態を狂わせ、調和を乱し、一つの生物あり得ぬほどに異常繁殖。
人のおごりは自然をも支配せんとす。
自然の循環運行までも作りかえ乱しゆくなり。
自然連鎖は崩れ、宇宙原理も狂いはじめん。
人が人を憎み、争い傷つけあうことよりも、自然を穢し支配し、連鎖を崩しゆく罪、宇宙を崩壊させんとする罪は重き。神は許さず。
神を信じぬ。そもよからん。
神を侮り、無礼を働く。そもまたよからん。
されど、人の愚かな我欲にて地球の調和乱し、宇宙の運行を変え宇宙に有害な物をまき散らす人のおごりを神は許さぬ。
科学、数式、人の力のみにて目に見えぬもの信じず恐れず、祈らず、感謝も忘れて生きる。それもまたよけれ。
地球の根元、諸悪、元から断ちてつくり直さん。
自ら神から離れ去りゆく者、後に悔いても遅かりし。
瀕死の地球の姿こそ人間の未来の姿なり。
軽んずるなかれ。侮るなかれ。
今一度の神の闘い始まらんとす。
人の心の奥の神目覚めさせ、波動おこし、奇跡を呼び起こさん。
神の最後の賭ならん。
この世を再生さすか、滅亡さすか、苦悩の選択なり。
ならば一人でも多く心の奥の神呼び起こし神を喜ばせよ。
神の祈りはそれのみなり。人の真の回復なり。
今正に神の矢は放たれんとす。
人の世さらに混迷なる。混乱なる。
神は人の心の奥の神が目覚める事に希望を託し、神と人とが手を取り合い、次元低き今世の立て替え立て直しを行わんとす。
立て替え立て直しは既に始まり、矢は放たれんとす
自ら地球の穢れ浄化しようとする者達の神に仕えて神のお役に立たんとの思い、高まりゆかば、神は禊ぎて次なる世へと導かん。