祈りを超え、『意乗り』を捧げる
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私たちは、困難に直面した時や、何かを強く願う時、神様に「祈り」を捧げます。
しかし、神示は、私たちが目指すべき境地は、そのさらに先にあるのだと教えています。
今回は、単なる「祈り」を超えた、新しい時代の祈りの在り方『意乗り』について、読み解いていきましょう。
あなたの「祈り」は、どこを向いていますか?
神示はまず、私たちが無意識に行っている「祈り」の姿に、問いを投げかけます。
人よ。祈りを、願いを天に届ける術と思うな。 そは、己の無力さを嘆き、外に救いを求める、か弱き魂の行いなり。
「どうか、お助けください」「どうか、願いを叶えてください」。
もちろん、その心も尊いものです。しかし、それは「自分は無力で、救われるべき存在だ」と、救いを外側に求めている状態です。
神様が本当に望んでおられるのは、私たちがその「か弱き魂」の状態を卒業し、神の御心と一つになる、力強い境地に至ることなのです。
神の御心と一つとなる『意乗り』
その、神が望む祈りの究極の姿。それが『意乗り』です。
神が望むは、その先の境地。 己が精神を高め、神の御心と一つとなる『意乗り』のことぞ。
『意乗り』とは、天に何かをお願いすることではありません。 自らの魂を浄め、精神性を高めていくことで、自分の「意(思い・意志)」が、そのまま神の乗り物となる、という状態です。 それは、どのような境地なのでしょうか。
魂が浄められ、高次の精神に近づく人の意は、おのずと天命に適う。 その、清浄なる魂が発する「こう在りたい」という純粋な意志。 それこそが、神の御心と寸分違わぬ、最強の意なり。
魂磨きに励み、我欲や邪念が取り払われた、清らかな魂。その魂から発せられる「こう在りたい」「こうありたい」という純粋な意志は、もはや個人の願いではなく、神様が「この世界をこうあらしめたい」と願う御心そのものと、完全に一致しているのです。
己が神となる境地
その時、あなたの存在そのものが、奇跡の始まりとなります。
己が思うことが、神が思うこと。 己が為すことが、神が為すこと。 その思いと行いは、滞りなく、この地に実現されていくであろう。
あなたの思いは、そのまま神の思いとして、この世界に実現していきます。あなたはもはや、神に救いを求める存在ではなく、神の意志をこの地上で実現する、共同創造主となるのです。
では、どうすればその境地に至れるのか。 神示は、その道は「感謝」と「喜び」の中にあると示します。
感謝と共に、己が天命を、ただ喜びをもって生きよ。 その在り様こそ、生きながらにして、神へと捧げる、最上の祈りにして、意乗り。
何かを「お願い」するのではなく、ただ、今生かされていることに深く感謝し、自分に与えられた役目(天命)を、喜び勇んで生きること。 その、光り輝く生き様そのものが、神へと捧げる最高の祈りであり、『意乗り』の完成した姿なのです。
これこそが、立て替え立て直しという大転換の時代に、私たち人間が目指すべき、真の姿であると、神示は教えています。


