『ホツマツタヱ』が照らす神話の真実に迫る
はじめに:神様から託された物語
以前途中まで公開した「神話の真実に迫る」は、神代文字(ヲシテ文字)で書かれた歴史書「ホツマツタヱ」を収録した「記紀原書ヲシテ」(池田満・辻公則著)を私なりに翻訳をし、そして私が神様を通し感じている当時の世界観、空気感を物語として紡いでいます。
そもそもは、このブログをはじめた当初から、「神代の時のことを自分なりに人に伝えなさい。」と、神様から指示をされ、2013年からはじめた取り組みですが、中々進まず今に至っています。
幻想の物語から、現実の歴史へ
元々私にとって『神話』は、幼い時からなんとなく耳にしてきた神様の物語です。イザナギとイザナミが日本列島の島々を生み出す国生みの物語、イザナギが亡くなった妻のイザナミを追って黄泉の国に行ったお話や、ヤマタノオロチ、因幡の白兎ほか。
耳にしたり、絵本や本で読んだりしていましたが、その内容はあまり現実的ではなく、幻想的で、「ただ昔、神様という存在がおられたのかなぁ」と漠然と考えておりました。神話を語れと言われても、神様は何でも教えて下さるわけではありませんし、どうしたものかと思っていました。
『ホツマツタヱ』との出会いと、ヲシテ文字の波動
ある時何かのきっかけで、ヲシテ文字で書かれたルビなし原文の本(前述の記紀原書ヲシテ)との出会いがありました。
ルビなしのホツマ文字を前にどうしたら良いのか戸惑いましたが、そもそもヲシテ文字は宇宙エネルギーを表す形霊であり、ものすごいパワーを持っている文字です。私はその波動に惹きつけられ、翻訳をしてみることにしました。
人間として描かれた神々と、その偉業
そこには、神世七代(クニトコタチ)からウガヤフキアエズまでの「カミヨ」、そして神武天皇から景行天皇までの「ヒトノヨ」に至る、古代日本の歴史、文化、食、哲学、統治理念、食生活などが多岐にわたり書かれていました。
国民が食に困らないようにと、アマカミ様方が水田稲作の普及に心血を注がれた事も書かれていました。今、私たち日本人は「米」という主食が高すぎたり、品薄だったり、作り手が減少していたりと悩まされていますが、「米」あってこその日本人であるということを強く感じています。
「神話」は現実から遠く離れたお話のように感じていましたが、『ホツマツタエ』では神々が実在の人間として描かれています。この文献を思いながら神話を読み解いていますと、「ああ、ここがあの神話の物語なのか」と、とても納得がいくのです。
神社に残る、神々の確かな息吹
イザナギ、イザナミ様が宮崎で生活されていた足跡、またニニキネ(ニニギノミコト)の九州開拓以降のそれぞれのアマカミ様方が、確かに生活され政務を執られていた軌跡が、霧島や宮崎の神社に残されています。
神社は、かつての住居であったり、政務を執るところであったり、移動の際の場所であったりしたのです。観光地としては有名でなくても、古いお神社に思わぬ歴史があり、感激することもあります。『ホツマツタエ』では、神様は天皇(アマカミ)として描かれていますが、その確かに存在された軌跡が神社として現代まで残されていることは奇跡だと思いますし、素晴らしいことです。
現代に蘇った古代の叡智と、研究者たちへの敬意
この『ホツマツタエ』は、1966年に故・松本善之助氏が写本を発見され、他の研究者や、弟子の方と研究が続けられ、1992年に滋賀県高島市安曇川の日吉神社の蔵から全40巻が発見されたのです。
ルビなしの『ヲシテ』の著者である池田満さんは、「声に出して朗々と読み唱えてもらいたい」「音韻と声のひびきだけでその場が清められる」とおっしゃっています。ヲシテのルビなしの本も、詳しく書かれたホツマ辞典、さらにアマカミ様の系図にしましても、池田満さんがご自分の知りえる全てを伝えていきたいと願っておられるのが伝わってまいります。長い年月、心血を注いでこられた研究者の方々に敬意を払いつつ、この壮大な文献を読み進めています。
改めて、神話の真実を紡ぐ
全てを理解することは難しいかもしれませんが、神話の中にある真実を考えながら、日本とはどういう国なのか、また何故、「カミノヨ」から「ヒトノヨ」へと変わらなければならなかったのか。そんなことに思いを馳せながら、神代の物語を書き進めていきたいと思っています。
この取り組みをはじめて随分と時間が経ってしまいましたので、翻訳済みの部分も、今読むと、神代の空気感、神様の想いをお伝えしきれていないと感じています。
まずは、過去記事を改訂し、そして最後まで物語を描き切りたいと思っています。 ホツマツタヱを私なりに解釈した神代の物語をどうぞお楽しみくださいませ。
カミノミヤ・木花万乃



