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今回は、私たちが日々、その身に取り込んでいる「食」について考えてみます。
あなたの「食」は薬ですか?毒ですか?
魂を浄化するには日々の食事こそが浄化の根本だと示されています。
人よ、立て替え立て直しの時を迎えし今、己が魂を浄めんと思うならば、まず足元を見よ。日々、その身に取り込む「食」こそが、浄化の根本にして、禊の始まりなるぞ。
本来、食とは神様からの大いなる恵みであり、私たちの体を健やかに保ち、魂を養う「まことの薬」となるべきものでした。 しかし、どうでしょうか。現代社会に溢れる食は、その神聖さを失ってはいないでしょうか。
なれど、我欲に満ちし今の世は、その理を忘れ、食をモノとして扱い、神の恵みを穢しきった。 毒にまみれ、命の失せし添加物に覆われ、悪しき油にて作られし数々の食は、もはや薬にあらず。 知らず知らずのうちに人は血を汚し、魂を曇らせる、そは緩やかなる毒に他ならぬ。
利益や効率を優先する「我欲」によって作られた、生命力のない食べ物。それはもはや薬ではなく、私たちの心身を内側から蝕む「緩やかなる毒」に他ならない、と神示は厳しく指摘します。この毒を口にしながら、真の健康や魂の浄化を願うことはできないのです。
原点に立ち返る、ということ
では、どうすれば私たちは、食を「まことの薬」へと取り戻せるのでしょうか。 その道は、驚くほどシンプルで、私たちの暮らしの原点にあります。
今こそ、原点に立ち返るべし。 愛を込め、みずから作る食に勝るものなし。 清き水、海の塩を用い、その土地の旬の恵みを食せよ。
誰かのため、そして自分のために、愛を込めて食事を作ること。自然の理にかなった清らかな調味料を選び、その土地で、その季節に採れた、生命力に満ちた旬のものをいただくこと。 この原点に立ち返ることこそが、食を通してできる、最も基本的な浄化の実践です。
食を「神聖なる儀式」に変える
そして、何を食べるかと同じほどに重要なのが、「どう食べるか」という心の在り方です。
食する前には、必ず神への感謝を捧げよ。その行いにより、ただの食は、魂を浄める神聖なる儀式へと変わるであろう。
食材となった命、自然の恵み、そしてそれらを与えて下さる神様へ、食事の前に心からの感謝を捧げること。 その祈りの一瞬が、単なる栄養補給であったはずの食事を、自らの血肉と魂を浄める「神聖なる儀式」へと昇華させるのです。
できることから始める、という尊さ
もちろん、現代社会で暮らす中で、食を完全に本来あるべき姿に戻すことは、容易ではないかもしれません。
しかし、神様は完璧であることだけを求めているのではありません。
大切なのは、「意識を向ける」ことです。 たとえ三食全てでなくとも、一食だけでもいい。一つの食材だけでもいい。調味料を変えるだけでもいい。これは本当に今の自分に必要なものだろうか、と立ち止まって考えること。
その小さな選択の積み重ね、そして「少しでも良いものを取り入れたい」と願う意識こそが、浄化に繋がっていきます。
食は命なり。 命を尊び、食を正すこと。 そが、この大いなる変化の時を乗り越え、次の世へと渡るための、第一歩なることを知るべし。



