芽生える特権意識と、稲作の成功がもたらした葛藤
階層社会のひずみと祭殿の建設
三代アマカミであるトヨクンヌは、朝廷と増加する国民との関係が円滑に機能するよう、社会を「カミ」「ヲミ」「タミ」という三つの階層に分けられました。
本来これは、アマカミと国民の間に取次ぎの役割を持つ者を置いただけの、ヲミの指導者はあくまでアマカミであるというシンプルな構成でした。しかし、この階層が生まれたことで、人々の心には予期せぬ感情が芽生えます。ヲミたちは自らがタミよりも優位であると知らしめるために、大きく立派な祭殿を競うように建てるようになりました。
これまで、アマカミやクニカミの上にも下にも階級という概念はありませんでした。アマカミはヲミたちに対し、決して権威を振りかざしてはいけないと幾度も厳しく指導されましたが、それでも人は、他者より優位に立ちたいという欲求に抗えないものなのでしょう。
稲作の成功と神への感謝
そのような社会の変化の中で、少しずつお米の栽培が試みられるようになっていましたが、当初はなかなかうまく育ちませんでした。
その状況を打破したのが、トヨクンヌの弟であるウケモチです。ウケモチが懸命に努力を重ね、熱心に稲作に向き合った結果、ついに栽培は成功を収めます(これはおそらく陸稲(おかぼ)であったと思われます)。
待ちに待った収穫祭では、ユフという木の皮を紡いで織った布を、カ、シ、キ(赤、白、黄)の三色に染め上げたヌサが作られました。そして、絶対神であるアメナカヌシやアメミヲヤ(宇宙を創り出した大元の神、スの神様)をお祀りし、収穫したばかりのお米を精米して、お粥と重湯にしてお供えされました。
当時、このお粥と重湯こそが最高の贅沢であり、何よりも貴重な恵みだったのです。
自由な暮らしと農耕文化への葛藤
しかし、お米を育てるには多大な手間がかかり、特に陸稲は気候の影響を強く受けます。豊作になれば主食が安定して確保できることは皆分かっていました。
それでも、タミにとってはすぐに受け入れられるものではありませんでした。これまでは自然の中で自由に狩りをし、採れた食糧を持ち寄るという、ある意味で束縛のない気楽な生活を送っていたからです。決まった時期に計画的に働くことを求められる稲作の文化が人々に浸透し、社会に定着していくまでには、まだまだ大変な時間がかかることになります。




