いつでも手は差し伸べられている
立て替え立て直しが進み、人の世に混沌と試練満つる今、天より、地より、そして己が魂の奥底より、常に救いの御手は差し伸べられおる。
なれど、多くの者はそに気づかぬ。
差し伸べらるる御手とは、大元なる神の愛そのもの、宇宙の慈悲の現れなり。
時にそは厳しき警告として、時にそは苦難の中の微かなる光明として、時にそは隣人の優しさとして、時にそは内なる声、魂の導きとして顕となる。
神は決して人を見捨てず、常に成長と浄化への機会を与えん。
なぜ人はこの御手を見過ごすか。我欲に眼曇り、恐れに心縛られ、古き価値観に執着するが故なり。
己の非を認めず、他を責め、邪気に魂を覆わるれば、救いの光は見えぬ。
絶望は、差し伸べられし手を自ら振り払う行いなり。
その御手を掴むには、まず謙虚に己が未熟さを認めること。心を浄め、魂を磨き、神への信頼を取り戻すこと。過去の過ちを許し、感謝の念を抱き、与えられし試練をも成長の糧となす覚悟を持つことなり。
清められし心、素直なる魂にこそ、神の御手は力強く握り返されん。
救いの御手は、常に、全ての人に差し伸べられておる。
立て替え立て直しの只中にあって、その手を掴み取るか否かは、一人一人の心の在り方、その覚悟に懸かる。
人よ、恐れと我欲を捨て、浄き心にて天を仰げ。
差し伸べられし神の御手を固く掴み、希望を胸に、新しき世への道を力強く歩み出すべし。



