考えすぎて疲れていませんか?神示に学ぶ、人生が“遊び”に変わる「童心」の取り戻し方
「ああすれば、こうなるかもしれない…」 「あの時、ああ言わなければ、どうなっていただろう…」 「どちらを選べば、より損をしないだろうか…」
私たちの頭の中は、常に、過去への後悔と、未来への不安、そして、尽きることのない損得勘定で、溢れかえってはいないでしょうか。 そして、その、考えれば考えるほど、身動きが取れなくなり、ただ、心をすり減らして、疲れ果ててしまう…。
もしあなたが、このような「考えすぎ」のループに陥り心身に不調をきたしているのなら、 それは、あなたの魂が、「もう、その重たい荷物を、下ろしませんか?」と、優しく、しかし、必死に、あなたに呼びかけているサインなのかもしれません。
人は「賢しら」を得て、何を失ったのか
神示は、私たちが、大人になる過程で、いつしか失ってしまった、最も尊い宝物について、こう示しています。
人は、賢しらを得て、最も尊きものを失いたる。 そは、未来を案じず、過去に囚われず、ただ「今、この瞬間」にのみ、その命の全てを輝かせる、魂の在り様なり。
「賢しら(さかしら)」とは、物事を複雑に考え、計算し、己の力で未来を制御しようとする、人の世の知恵のことです。 私たちは、この力を得ることで、社会を生き抜いてきました。しかし、その代償として、ただ、目の前の瞬間に、魂の全てを捧げて没頭するという、命本来の、純粋な輝きを、忘れてしまったのです。
「童心に還る」とは、子供返りすることではない
では、どうすれば、その輝きを、取り戻せるのでしょうか。神示は、その道を「童心に還る」ことだと、はっきりと示します。 しかし、ここで、私たちは、一つの大きな誤解をしてしまいがちです。
童心に還るとは、子どものように生きることにあらず。 己が作りし、重き荷物を一度下ろし、神の采配を、一点の曇りもなく信じきる、あの、無垢なる魂に還ることぞ。
神示が教えるのは、責任を放棄し、未熟な「子供」のように振る舞いなさい、ということではありません。 それは、大人の経験と知恵は、そのままに。ただ、魂の「在り方」だけを、あの頃のように、未来を案じることなく、神様の世界を、絶対的に信頼しきっていた、無垢で、軽やかな状態へと、還らせてあげることなのです。
どうすれば「童心」の扉を開けるのか
そうは言っても、一度、重い鎧を身につけてしまった私たちが、それを脱ぎ捨てるのは、決して簡単なことではありません。 そこで、日常の中で、誰にでもできる、具体的な実践をご紹介します。
それは、一日、たった五分で良い。「魂の、無目的の時間」を、自分にプレゼントしてあげることです。
例えば・・。
●計画も、目的もなく、ただ、空を流れる雲を、飽きるまで眺めてみる。
●損得を考えず、ただ、道端に咲く、小さな花の色や形に、心の底から見入ってみる。
●上手いか下手かなど、一切考えず、ただ、鼻歌を歌いながら、意味のない絵を、紙に描いてみる。
大切なのは、「これが何かの役に立つか」という、頭の声を、その時間だけは、完全に、脇に置くことです。 ただ、目の前の瞬間に、魂が、ふわりと、軽くなるのを感じてみる。 神示の言葉を借りれば、
ただ、目の前の光に、心の底から感動せよ。 ただ、魂が震えるほどの喜びに、その身を委ねよ。
という、魂のトレーニングです。
この、ささやかな「神遊び」の時間を、日々の暮らしの中に、少しずつ、取り戻していくこと。 その積み重ねが、あなたの魂を、がんじがらめに縛り付けていた、重い思考の鎖から、優しく、そして、確実に、解き放ってくれるでしょう。
神示は、その先に待っている、素晴らしい世界のことを、こう結んでいます。
さすれば、人生は、耐え忍ぶべき苦行から、神と共に遊ぶ、光の道へと、おのずと還っていくであろう。
あなたの人生は、決して、苦しむためのものではありません。 神と共に、喜びを、そして、奇跡を、体験するための、壮大で、楽しい、遊びの舞台なのです。


