生涯修行
人は、如何に昇華し魂を清めようとも、ふとした油断や魔が差すなれば、神に近づきたる魂とて、あっという間に汚れなん。
そを繰り返すも、魂、清める努力せば、段々と魔にとりつかれぬ魂となるれども、肉体をお返しするその日まで、修業は終わらず。
肉体持つ以上、人間には、欲望も執着もあり、そを増長させぬ強き心も
己で、つくらねばならぬ。
人のなすべき事の重要なることに、生業、学業を疎かにするべからず。
与えられたる日々の同じ事の繰り返しに、不満もつ者なれど、日々の繰返しの中に学びありなん。
単調な中に学びあるを悟るべし。
学業は順列つけるためにあらず、入試のためにもあらず。
学業、生業、己を成長させるためにありなん。
人が、己の望む仕事、己の好きな仕事に進めるはほんの一握り。
なれど好きになれぬ仕事にも、己の成長や成功の鍵ありなん。
人は霊業も必要なれど、生業、学業、疎かにしてはならぬ。
人間は、肉体持つなればなり。
気にいらぬ仕事と思えども、努力し力を注いでこそ、神認めん。
神様は今の教育は間違っていると仰せです。
学力優先の社会、いい大学へ行けばいい人生となるという考えはこれから通用しなくなっていきます。
学力で順番をつけ競わせる時代もこの立て替え立て直しの中で正されれていく事でしょう。
神様は教育者は、魂が美しく心に子供の人格を育てられる力がある者がならなければならない、教育者は、まず自分を磨かなくてはならないと仰せです。
仕事も自分の好きな事、思う仕事につける人はごくごく僅かです。
いやな仕事でも、人間は、生きていかなければいけません。
好きでない事でも、縁があってその仕事につきます。
その中で努力してこそ、霊業も積めるというもの。
精神世界にどっぷり入り込んで、他が二の次にならないようにと仰せです。
霊、心、体の調和が取れてこその、肉体をもつ人間の生きる意味になるのです。