まことの自立、神への全託
他者にすがる心も、他者を退ける心も、その根は同じなり。
依存と孤立とは、形を変えし「我」の姿にして、神の産霊の大いなる循環を忘れし姿に他ならぬ。
他者に寄りかかるは、己が内なる神の光を見失いし者の姿。
また、己が力のみを頼み、孤高に立つと驕るは、神の恵みと産霊の働きを疑いし者の姿。
いずれも「我」の物差しにて神の循環から自らを切り離し、恐れに縛られし苦しみの道なり。
立て替え立て直しの時ぞ。
人の世の「自立」という名の、その「我」の幻想を、今こそ手放さねばならぬ。
まことの自立とは、己が力にて事を成さんとする、その計らいの一切を神に明け渡すことなり。
そは、神の根源の働き(産霊)に、己がすべてを委ねきることならん。
なれど、委ねるとは、何もせず、ただ待つことにはあらず。
「我」の物差しを捨て、神の価値観に立ち返ることなり。
損得にて縁を裁かず、目の前の縁にただ誠を尽くせよ。
結果を恐れず、ただ己が持ち場を清めよ。
そが、神の循環に身を委ねる者の、まことの姿なり。
「我」を捨て、神にすべてを委ねし時、人は初めて神の産霊と一つとならん。
内なる神が目覚め、恐れは消え、大いなる循環の力が流れ込まん。
他者を頼らずとも、神が己を支え、 他者を退けずとも、神が己を守る。
何ものにも依存せず、何ものからも孤立せぬ。
ただ神の理と共にある、不動の魂。 そが、まことの自立の姿にして、新しき世を歩む者の姿なり。


