分相応・山

富士山

分相応

人は不満多き生き物なり。
そは一つには人と自分とを比べるゆえなり。
一つには、自分の思い通りに事が運ばぬゆえなり。
一つには物質社会の陥る我欲にまみれるためなり。
不幸ありなば、自分1人が不幸にあうと嘆くなり。
されど、人は皆苦しみ、苦労、悲しみ背負いて生きるらん。
それゆえ、喜び、幸せ、さらに大きくなるなれば。
人は悲しみ、苦しみ、苦労なるはいつまでも覚え、嘆き悲しむなれど、喜びや幸せも同じに与えらるるを気付かぬものなり。
悲しみ、苦労、あればこそ喜びも幸せもあるらん。
1人、苦しみ、悲しみて、心閉ざして神の光を受けぬ者多き。
そは神への背徳なり。
物事うまく進まぬがゆえ人は努力し、知恵を使い、向上せんとす。
欲しき物手に入れても、さらに新しき物と次から次へと物品、金銭欲しがるは心の貧しさ表すものなり。
分相応。そが一番なり。
生を受け、今生かされし事のみても充分に幸せなり。
そを感謝せずして先は無し。
全ての物は神の恵みなり。
自ら生まれるにあらず。
人は神の慈愛にて生を受け、己自身が親選ぶなり。
人間は非力なり。
人間に与えられる能力。役割。全て神から与えられし恵みなり。
その恵み生かすになく、不満もつは傲慢なる。謙虚に生きるべし。
不満、悩み、苦しみは人間につき物なれど、その負のエネルギーをすぐに己の向上のためのプラスのエネルギーと変えるべし。
人は不満多き。欠点多き生き物なり。
されど、その欠点さえも神の与えし修行なり。
さすれば、欠点さえも神の慈愛、御意図と気づきて感謝あるなれば、欠点も長所と変りゆくなり。
己の欠点に不満を持つなかれ。欠点あるがゆえに人は謙虚になれるものなり。
全てが人間が向上するための神の御意図なり。

2007.4.18

人にとって家は大切なり。
日本の風土には木造建築が一番過ごしやすく、健康的に過ごせるものなり。
山は、本来空気浄化の役割。また、風をよけ人間の生活を守るなり。
神は日本の民が木々を使いて家を造りても、人間の生活を守りつつ、充分に事足りるように自然を与えられし。
されど、人間は欲望にて勝手に伐採を重ね、人間を守りゆく森の木々は別の木々にとりかえられ、山の形態乱しゆく。
さらに、それだけでなく近頃では木々は利益追求のため伐採の後植林もされず。
山は荒れ放題なり。
動物も小動物も住めぬものなり。
そを続ければいかなる災害起きるか気づく者少なき。
山乱して利益貪り続けるなれば、崖崩れなどと言う安易なる災害になく、山もろとも崩れ落ちようぞ。
さらに思わぬ災害にも繋がりゆくらん。
それにて人の命奪わるるは人災なり。
本来日本の山は、日本の民を守りゆくものなり。
山の木々も植物も動物も小動物も全てが人の役に立つなり。
一握りの善意ありし者が、山の役割果たす本物の森を作らんと、働きゆくがそれだけでは、もはや日本のもとある森林は取り戻せぬ。
心ある者、国、地方、皆が本気に役割果たせるもとある山の姿取り戻さんと動かば、人を守る山も復活しようぞ。

2007.4.20

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