トコヨクニ建国の理念
国を建てるにあたり、クニトコタチは国の名を「トコヨクニ」と定め、その礎となる建国の理念を明確に示されました。それは、現代で言う憲法にもあたる、国づくりの大方針でした。このことからも、当時すでに文字が存在していたことがわかります。
そこに記されていたのは、次のような趣旨の教えでした。
- 国民すべてが他者を思いやり、天と自然の恵みに感謝し、より良い生活のために手を取り合わなければならない。
- 指導者は、常にあくまで国民の幸福を第一として行動しなければならない。
- 国民は、指導者が民のために尽くす御心を汲み取り、互いに信頼し、感謝しあわなければならない。
- 他者を決して傷つけたり、踏みにじったりするようなことをしてはならない。
- 働くべき時は皆で協力し、困難な時には助け合い、分かち合わねばならない。
この教えは、後世の聖徳太子が残した「和をもって貴しとなす」という言葉にも通じます。日本は、その始まりの時から、平和で文化的な暮らしを理想に掲げる国だったのです。
衣食住を整える改革
初代アマカミとなられたクニトコタチがお生まれになった頃、人々はまだ旧石器時代から続く洞窟や岩陰、あるいは地面を浅く掘っただけの竪穴式住居に暮らしていました。
クニトコタチは、人間が人間らしく生きるためには、まず衣食住が満たされていることが大切だとお考えになりました。
「雨や風をしのぎ、安全に暮らせる、もっと過ごしやすい住居はできないか」 「季節に左右されず、食物を安定して手に入れることはできないか」
そう考えられたクニトコタチは、人々と知恵を出し合い、試行錯誤を重ねられました。そして、住居については、より丈夫で暮らしやすい新たな建て方を考案し、食については、栗の大量栽培という画期的な方法を確立されたのです。
これらはすべて、民の暮らしを豊かにしたいと願う、クニトコタチの理念が形となったものでした。