真の信仰心を養い魂を磨く
魂の位をあげるには、真の信仰心を持つことならん。
真の信仰心とはなんぞや。
宗教は悪しきにあらず。なれど、熱狂的信者となり他の神仏を拒絶すること、否なり。
無論、己の精神的向上を願う動機にて宗教に教えを請いて、己のものとし、道徳観を養うはよし。
この神様こそ本物なり、この仏こそと論ずは、愚かなり。
この神こそ本物なりと他を受け入れぬも、否。
神の教えも、仏の教えも、元一つ、真理は一つなり。
神様やご先祖様の前では、必ず自然と人は、手を合わせ、祈るものなり。
『いのり』そは、神の意に乗ることならん。
人々は神様とは何か特別なものと感じ、目に見えぬゆえ、遠ざける者もありなん。
なれど、口では神なぞ信じぬという者とて、心の中には天地自然に、常に感謝の心を持つ者もあり。
いつも神仏に心を向けているように見えるも、己の願いが叶わない時、あるいは不幸現象がおこらば、己の行動の過ちは、棚上げし、逆に神を恨むをむける者もあり。
真の信仰心とは、熱狂的に神仏に入り込むになく、心の中にいつも、天、地、自然、ご先祖に感謝し、何事にも、感謝の心を常に宿すことならん。
精神世界のみにては、人は、生きられず、ゆえにあまりにとらわれすぎらば己の本質を失うこととなりにけり。
己を生かしてくださることにのみ感謝し、身内、他者にも感謝できる素直な心を持つことこそ、真の信仰心となり、かつ己の魂を美しく保つことに繋がりゆく。
信仰心は大切なものですが、それは時に人を熱狂的にしてしまいます。
それを見て逆に、本来大切な信仰心を捨て去ってしまう人もいます。
宇宙の始まりは『無』であり、長い長い無の時代からそこに一つのご意志が現れました。
その大いなるご意志が万物を生み出し宇宙となり、三次元世界で魂を磨く役割を持つ人間をお創りになられ、天皇家のご先祖様となる神様が地上におろされました。
それが私たちのルーツです。
神をルーツに持っている私たち、特に日本人の根底には真の信仰心が宿っています。
我欲信心ではなく、真の信仰心とは何かを追求していけば、必ず神様のお導きを実感できるようになっていきます。