欠けは補い合うもの
人には必ずや、欠けありなん。
如何に立派に見える者とて、如何に偉い地位にある者とて、優しく親切に見える者とて、人間には必ず欠けありなん。
欠けに自ら気づくがまずは肝腎なり。
己の欠点は気づきたる後に改めるれば欠点にあらず。
欠けは個性でもありなん。
欠けを補いあうがそもそもの在り方なり。
そのために陰陽有りて五元素あり。
神は物質、自然の恵み、小宇宙なる肉体のみならず、人それぞれの個性としての欠け与えられ、人々がうまく調和するように創られれたり。
なれば欠点さえも、神の恵みなり。
ゆえに嘆くことなく、ありがたきと感謝し、欠け無くすにこだわるなかれ。
本当の欠点なるは、人を思いやれぬ者、傷つけるを平気な者、或いは、人の痛みをわからぬ者、迷惑を掛ける者。
なれど、欠け大きと人間の目でみるも、真実はみえぬもの。
やさしきと見えるが、実は冷たい心を持つ者、愛想なく扱いづらく見えるが、実は心に魂美しく、優しさ、秘めたる者も多かりなん。
人は見抜くは困難なれど、そを見抜ける魂となれよ。
欠けは嘆くべからず。
夫婦も両親も友人も、時に見知らぬ人さえも、己の欠けの助けとなると心得よ。
己の欠点を気づくは、惨めになるためにあらず、己を攻めるためにもあらず、悲しむためにもあらず。
人と調和するため己を磨くためにこそありなん。