禊・許しとは解放
人よ。禊とは、滝に打たれ、水を浴び、形ばかりの穢れを落とす行にはあらず。
心に重くのしかかる「我」を祓い、魂を本来の姿に戻すことなり。
その穢れの正体を知れ。 そは、他者を裁き、過去を悔やみ、許そうとせぬ心なり。
怒りや憎しみは、相手を傷つけるのみならず、何よりそれを抱え続ける己自身の魂を濁らせ、神の光を遮るもの。
故に、最高の禊とは、すなわち「許し」なり。
許しとは、相手のためになす慈悲にあらず。
また、相手の非を認めることにもあらず。
己が握りしめた過去を離し、執着から己自身を解き放つことなり。
裁く心を捨てよ。
正しさを主張し、人を責める時、人は神の循環から外れん。
善きも悪しきも、すべては過ぎ去りしこと。
その一切を神に委ね、握りしめた手を開けよ。
「我は許す」 そう決めた時、心は空となり、禊は成る。
空となった器にこそ、神の意は直ちに満ちるものなり。
すべてを許し、ただ今に在れ。 その清まりし姿こそが、新しき世を生きる者の証なり。



