【神示を読み解く】米不足が示すもの
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。
これまでの記事で、「立て替え立て直し」という時代の浄化(膿出し)についてお伝えしてきました。
それは地球規模の大きな話に聞こえるかもしれませんが、私たちの暮らしの中に、その兆候はっきりと現れています。
その一つが、昨年から多くの人が不安を感じている「米不足」の問題です。
スーパーの棚からお米が消え、価格が上がるという現実は、私たちの心に直接的な影響を与えます。
これは単なる流通の問題なのでしょうか?
神示の教えに照らす時、そこには私たちへの重大なメッセージが浮かび上がってきます。
生命の源、太陽への感謝
まず、全ての基本に立ち返ってみましょう。
私たちが生きるために不可欠な食べ物、その大元を辿れば、全ては太陽の恵みに行き着きます。
太陽は、この地球に光と熱を与え、あらゆる生命を育む、目に見える神の愛の顕現です。
朝、太陽の光を浴びて「ありがとうございます」と感謝を捧げることは、誰にでもできるシンプルで、しかし最も強力な浄化の行です。なぜなら、感謝の心は、神の愛の波動と共鳴し、私たちの魂を清め、その日一日、悪しきものから身を守る霊的な鎧となるからです。
魂の糧、米
そして、太陽の恵みの中でも、私たち日の本の民にとって特別な意味を持つのが「米」です。
これは単なる食物ではありません。過去の記事でもお伝えした通り、それは神の御心によって与えられた、私たちの魂そのものの糧なのです。
食は命の根源なれど、日の本の民にとりて米は、単なる食にあらず。そは神代の昔、神より与えられし魂の糧にして、この国の文化と精神の礎なり。
一粒一粒に、太陽と大地のエネルギー、そして神の御心が凝縮されている。
米をいただくことは、神の恵みを体内に取り入れ、自らの魂を養う神聖な儀式でした。
米不足が私たちに教えること
では、その最も神聖な糧であるはずの米が、なぜ私たちの手から遠ざかりつつあるのでしょうか。その根本原因は、私たち人類の心の在り方にあると神様は繰り返し示してこられました。
人の傲慢はもう許されぬ。
いつしか私たちは、米が神の恵みであることを忘れ、ただの「商品」として扱うようになりました。「我欲」に囚われ、お金を出せばいつでも手に入る便利なもの、と傲慢になってはいなかったでしょうか。
「米不足」とは、その傲慢さに対する罰などではありません。「当たり前」という名の麻痺から私たちを目覚めさせ、米が日本人にとっていかに大切で特別な存在であるか、そしてその源である太陽と神への感謝を思い出させるためにおきた、立て替え立て直しの作用だったのです。
回復への道は、「気づき」と感謝から
この状況を前にして、嘆き、不安に陥ることは、神の望む道ではありません。神は、この現象を通して、私たちに大切なことに「気づいてほしい」と切に願っておられます。
神はこの世に生きる一人でも多く、願わくば全ての人類に気づきあることを切に願わるるものなり。
米不足は、私たちに突き付けられた厳しい課題であると同時に、神の愛に立ち返るための絶好の機会です。神が与えてくださった「気づき」の機会を無駄にしてはなりません。
米が値上がりした事を嘆いたり、安い備蓄米が出てきたから安心などの視点で終わってしまっては、このような問題は今後も繰り返し起こる事になります。
まず、今朝も変わらず昇ってくださった太陽に、心からの感謝を捧げてみてください。
今、口にできる食べ物に、深く頭を下げてみてください。
その感謝の念が、神との途切れかけた霊的なパイプを繋ぎ直し、私たちの魂を潤します。
そして、多くの人々の感謝の想念が束になった時、それはやがて現実世界にも反映され、この国の豊かさと安定を取り戻す力となるでしょう。
全ての恵みの源である太陽に感謝し、一食一食を大切にいただく。その敬虔な心こそが、立て替え直しの時代を生き抜く、何よりの力となるのです。