集落の形成と、衣食住の具体的な改革
飢えと寒さの時代
クニトコタチが現れるまで、人々の主食はどんぐりや木の実に頼るほかなく、特に冬は食糧が不足し、常に飢えとの戦いでした。住居も岩穴や岩かげをそのまま利用するか、地面を掘っただけの粗末な竪穴で、雨風を十分にしのげるものではありませんでした。
クニトコタチはこの現状を深く憂い、民を救うために栗の大量栽培と、より良い住居の建て方を確立しようと知恵を巡らせました。
改革の第一歩「集落づくり」
まず、栗を栽培するにも家を建てるにも、多くの人手が必要です。クニトコタチは、そのためには人々が一箇所に集まり、協力しあえる「集落」を作ることが最善だと考えられました。
交通手段もなく、土地も整備されていない時代です。人々が暮らすに相応しい場所を求め、水が豊富で、家を建てるのに適した平坦な土地を探し出すことから、改革は始まったのです。
新たな住居の姿
そしてクニトコタチが人々と共に考え出された新しい住居は、非常に工夫されたものでした。
まず地面に穴を掘って床を平らにならし、杉の木を柱として何本か束ね、葛などのつるで固く結びつけます。その上に、茅(かや)や薄(すすき)などを雨漏りせぬよう工夫して乗せて屋根としました。掘り出した土は、住居の周りに盛り、雨水の侵入を防ぐ土手としたのです。
家の中にはほとんどの場合、暖を取り調理もできる囲炉裏が設けられ、文化が進むにつれて木で寝台を作るようにもなりました。
愛に満ちた行動と民の信頼
クニトコタチのこの懸命な努力によって、栗の栽培法と新しい建築法は全国に広がり、それぞれの土地の気候や環境に合わせた工夫も施されるようになっていきました。
これら一連の行動は、国民に少しでも良い暮らしをさせたいと願う、クニトコタチの愛に満ちた行動そのものでした。国民は、その御心に深い信頼と感謝を寄せ、クニトコタチを心からの畏敬の念をもって国の指導者として認めたのです。



