魔は誰にでも入り込み、気づきにくいもの
人は神の分け御霊。
神の創造の力を与えられしものなり。
なれば、幸せも自ら生み出すが人間なり。
生かされし事に感謝あらば、人生は幸せに満ち、あるべき姿で生きらるる。
なれど、不満、不安、邪気にとらわれれば、生み出すは不幸となりにけり。
誰しも幸せになりたしと願うもの。
なれば、幸せを生み出す己となれよ。
幸せを生み出すは他者にあらず。己自身と悟りて、神の創造の力にて大いに幸せをてにするがよからん。
人は、邪気にとらわれずに正気の循環を生み出すことで幸せになれる。
とても簡単な理屈なのですが、実際には自分自身が邪気にとらわれていることに気づくことができない場合が多々あります。
最近、結婚したばかりの夫婦の例を聞きました。
妻が不平不満ばかり言って、夫や義両親にも怒り散らし、夫を追い詰めるような態度を取っていたため、夫は適応障害になり、体調を崩してしまい、仕事にも支障が出て、家に帰れなくなってしまいました。
夫がそこまで追い詰められたことで、妻は自分の問題に気づきました。
自分が邪気にとらわれており、正しいことを言っていると思い込んでいたことに気づいたのです。
負の感情は人を狂わせます。思考や行動が暴走して、まるで魔にとりつかれたかのようになります。
そのため、人は簡単に負の感情に引きずられてしまいます。
幸せになりたいと思うなら、常に周囲への感謝を忘れず、魂を浄化しながら生きていくことが大切です。
自分が絶対に正しいという思い込みは危険です。自分の想いを伝えることは大切ですが、言葉の選び方や相手への思いやりも忘れてはいけません。
このケースでは妻は自分の問題に気づくことができて、家族関係も改善したようで良かったです。
誰にでも簡単に魔が入り込むことを肝に銘じ、浄化に努めながら幸せな人生を歩んでいきたいものですね。