我を抑え魂を磨く
人の魂を汚すのは我の強さ、人を思いやる心の欠落が因とならん。
人間はそもそも、己正しき、己大切と、考える生き物なり。
そを恥入ることはあらねど、人がいなければ、一人では生きられぬも事実なり。
人の欠点や過ちのみに目が行く人は、己こそ欠点も過ちも多いものと心得るべけれ。
『我』、そは人が向上する為、あるいは個性としてあたえられたものなれば、上手くいかさば、長所、魅力ともなりにけり。
なれど我が強くなりすぎらば、時に凶器となりにけり。
何でもなきことを悪しきにとりて、己の感情が許さねば相手を責める。
気がつけば、人を傷つけ、他の第三者から見ても、神から見ても、大したことのない事象にて、大切な人を失う事となりにけり。
人間の我のあまりの強さはやっかいなり。
いがみ合う必要のないときにいがみ合い、己自身の魂も傷つけ、他者の魂も傷つける。
その根底にあるは、己が一番正しき、己の考えが一番という考え。
時に己の我を通し、相手を落としめんため、嘘までつくこともあり。なんともあさましき。
己が嫌な思いをするのは他者のせい、親のせい、挙げ句思い通りに行かぬは神のせい、などと思い出さば、最悪なり。
我のなき人間などこの世にはおらねど、過ぎたる我は、魂を汚すこととなるを悟るべけれ。
人間はどうしても、自分が一番正しいと考える傾向があります。
それだからこそ謙虚さを養い生きなければならないのです。
自分の思ったことは何でもズケズケと口に出さないと気が済まない人は、自分は言いたいことを言ってスッキリするのでしょうが、周囲の人を深く傷つけているかもしれませんし、場合によっては大喧嘩になることもあります。
時に、本当に伝えなければならないことは、きちんと伝える必要がありますが、単に我の強さから人に思いやりのない言葉をぶつけているだけなら、それは魂を穢す原因となります。
言葉は神から与えられた世界を創造するためのツールです。
それ故に、どんな言葉をどんな思いで発しているのか、よくよく気を付けなければなりません。
世界は私たちの発している言葉で形成されているのですから。
人の欠点ばかり目につく時は、自分もまた欠点を人から見られていると悟ってください。
魂の位を高めるために、言葉がとても重要であることを認識し、他者には寛容であることを心がけましょう。