生かされる魂であるために
生かすも殺すも、全て神が決められるゆえ、足掻いても助からない者もいれば、足掻かずとも助けられる者は助けられる。
ならば、慌てず、足掻かず神に任せる方が魂も穢れぬというもの。
大変重たい御言葉です。
できれば記すことも避けたい事ではありますが、立て替え立て直しにおいて起こるであろう出来事、重要な事に触れない訳にはいきません。
立て替え立て直しにおいては地球に溜められている毒が全て噴出し浄化されていきます。
様々な天災もその作用であることは言うまでもありません。
日月神示では、残される臣民は三分の一であるとか、三分残すのも難しいと記されています。
そのくらい大変な事態が起こりうるという神示ですが、2011年はそれを連想させるような大惨事が日本でも起こってしまいました。
魂を美しく磨いていれば、必ず導きがあり救われると私はお伝えしてきました。
では、今回亡くなられた方々は魂を穢しに穢しきっていた方ばかりだったのか?と言えば当然そんなはずはありません。
魂を美しく保ち、神様にも認められている存在でありながら、今回の震災で命を落とされた方も多くいらっしゃいます。
それは、残念ながら寿命であり変えることのできない宿命だったとしか言いようがありません。
人間の心ではなかなか理解しにくいことですが、人間としての生死は神様、宇宙にとっての本当の生死ではありません。
本当の死とは魂が永遠の闇に飲み込まれてしまうことです。
もうあの世での修行をすることもできず、また人として生を受けることもできなくなってしまうのです。
今回、寿命を迎えて亡くなられた方は神から祝福を受けて、またいずれミロク世創りを担う神人として地球に降ろされることになるでしょう。
残された私たちは悲しみを乗り越えて、その準備を整えなければなりません。その準備とは立て替え立て直しを成功させることです。それが犠牲となられた方々への供養となります。
人々が今のまま気づきを得ることなく過ごしていれば今回のような多くの人の命を奪うような出来事が繰り返し起こることになってしまうでしょう。
明日、私も命を落とすことになるかもしれません。
仮にそうだとしても、私たちは日々魂を磨き生きなければなりません。それが人としての役割であり本分なのですから。
「足掻いても」とありますが、これは悪あがきの事で、自分だけが助かれば良い。自分の家族だけ助かれば良い。他の人を犠牲にしてでも助かれば良い。このような思いを持つ人間は宇宙の法則によって「生かされない魂」となってしまうことでしょう。
周囲の人々のためにも様々な災害を想定して準備をしておくことは足掻くことではありません。数年前から食料の備蓄をお勧めしていますが、これは自分だけが自分の家族だけが使う物として溜め込んでいては駄目です。
これからの世の中、いかに人が助け助け合い試練を乗り越えて生きていくのか、神様は見ておられます。
そして生かされている間はこの立て替え立て直しを成功させ、見届け、次代に伝えていくことが役割だと心得、精一杯生きていきましょう。