幻の経済の終焉
文明は必要な物は残しゆくが、魂は古代に戻りなされ。日本の幻の経済に潜んでいるものを見抜きなされ。
人間には様々なる神の恩恵与えられたり。
ウランも石油も石炭も鉱物もそこに必要なればこそその場所にあるものなれど、人間はそれらを我が物とばかりに略奪し資源を貪り、地球内部は空洞化となりにけり。
よくよく考えるべけれ。
さなる行いは人間の体に穴を開けるも同じ事。
地球を無用に傷つけたるは大きなる過ちと気付よ。
この世に生きる生命、無駄なる命一つも無し。
多種多様にてそれぞれが助け合い、補い合い良きにはからわるる仕組みなり。
そもそも人は他のイノチを食してこそ生きらるるもの。
さなるイノチ育む自然の調和されたる仕組みを壊し、絶滅する生命増やすばかり。
いかなる生き物も小さな虫一匹にても、目に見えぬ菌もウイルスもそれぞれが役割を持ち、人はその仕組みに助けられ生きらるるに感謝捧ぐるべけれ。
山も海も川も動物も植物も全てが必要ならん。
勝手に山崩し、海の地形を変え、川を埋め、固め、動物が山に住みにくき状態を作り、植物・野菜は勝手に品種改良と称し四季を無くす。
多くの罪の報い必ずや訪れるなり。
大量生産、大量消費の結果、物欲、金銭欲に振り回され、経済危機、食糧危機を呼ばん。
加えて、人間の流したる毒は海、山、川、大地を汚染し自然の浄化力の限界を超えしものなり。
さなれば食も汚染され、食物の生命エネルギーも失われ病も増えゆかん。
幻の経済に踊らされる
生活の中で創意工夫をして、文明文化を創り上げ豊かに生き、そして魂を磨きあげるためです。
しかし、人の我欲は止まるところを知らず、見渡せば無くても支障の無い物品の何と多いことでしょうか。
食についても好きな物を好きな時に好きなだけ食べられる環境が整い、その裏側では毎日大量の食品が無駄に捨て去られています。そこには当然動物の命も含まれています。人に食べられるために生まれ、結果食べられることもなく死んでいく命もあると言うことです。
こんな世の中の姿が神様が望んでいる姿であるはずがありません。
わが家を見渡しても、これは本来いらなかった物だな・・。と感じる物があります。その都度反省はしているつもりですが、しばらく経つとやはり物が増えています。
外食などに行くと、とてもではありませんが食べきれない量の食事が出てきて困ってしまう事もあります。
私も偉そうな事を言える立場ではなく、神様の仰る『幻の経済』に踊らされている一人です。
この罪はいずれ償わなければならない時が必ず来ます。
現在の物質社会を支えるためには、想像を絶する資源が必要であり、それは全て地球に存在するものです。それを好きなだけ浪費していればいずれ枯渇するのは当然のことです。
豊かに暮らすことは良い
現代文明を運営していく上で欠かせない資源の多くがまもなく底をつこうとしており、あろうことか、残された貴重な資源を人同士が争い奪い合うようなことすら行われています。
私たちは物質社会に生きています。神様は何もかも許さないと仰っているわけではありません。
衣食住にしても、着の身着のままで良い。ご馳走なんてとんでもない。ぎりぎり生きられる分だけ食べれば良い。家など布団が敷けて眠ることができれば良い。こんな事を仰っているわけでは無いのです。
魂を輝かせるためにおしゃれは大切な要素です。特に女性はほどよく化粧し身なりを美しく整えなさいといつも神様は仰います。
食べ物にしても人は愛情籠もった良い波動を持つ、美しい盛りつけの手料理を頂くことで心が満たされ、そして家族の絆を強くしていくこともできます。
家も人の精神に強く影響を与えますので、美しく整えられている事は神意に沿っています。
心を豊かにするための様々な趣味において例えば楽器が必要な人もいるでしょうし、絵筆が必要な人もいるでしょう。ゴルフやテニスで適度な運動して汗を流すことも魂浄化の役に立つでしょう。
神様は人類の文明文化が発展することはむしろ喜ばれ、応援もしてくださいます。
行き過ぎこそが問題
問題なのは全てが行き過ぎていることなのです。
あれも欲しい、これも欲しいと望み、気付けば家の中は不要品だらけ。既に手に入れているものですら、新しいモデルが出たから買い換える。全国何処でも便利な物が手に入るように商品を行き渡らせなければならない。どんどん作って、どんどん売って、売れなければ廃棄して、また新しい物を作ってどんどん売ろう・・。
これではいずれ物が無くなってしまうのも無理がありません。
私たちにとって重要な資源の一つに木材があります。
ご存知の通り、この木材を確保するため日本では特に杉と檜の植林が行われてきました。
それによって、森は本来の役割を果たすことができなくなってしまっています。
山が本来の機能を失えば、そこに暮らしている動物は居場所を失ってしまいます。熊や猿、猪などの野生動物が人里に降りてくることは異常事態であり地球の循環が乱れていることに対する神の警告の一つと言えるでしょう。
また、森の姿を変えてしまうだけでなく、鉱物を採掘するため、また、家や様々な商業施設を建てるための土地を確保するため山を崩し、安定した水源確保、治水の名目でダムを造り川を固め、自分たちの便利な生活を守るために地球を傷だらけにしています。
ここに例を挙げたのはごく一部で、万事においてこのような浪費がされていて、それは世界中で行われているのですから、瞬く間に限界が訪れてしまうのは目に見えています。
大量生産の弊害
今の私たちの『食』を維持するにもやはり大量生産が必要です。
そのためには、昔ながらの自然農法、古代農法では間に合うはずもなく、人は農薬を開発したり、動物を『食物』として『生産』するようになりました。
何もかも生産性を重視するため、本来食品が持っている栄養は薄くなり、それだけではなく本来あるはずのない毒物すら含む食べ物も出回っています。
結果それを食べている人間は、生命力を弱め、抵抗力を弱め、病気を呼びやすくなっています。
動物も「大量生産」していれば必ず何らかの不具合が生じてきます。
私が暮らしている宮崎県では、2007年に鳥インフルエンザが発生し、2010年には口蹄疫、2011年に、再び鳥インフルエンザが発生して、多くの家畜が殺処分されてしまいました。
これは、動物を食べ物、商品として生産する事、また、そうして生み出された食品を安易に捨て去ってしまっていることへの警告です。
知恵を出し合い変革を
誠実に畜産、酪農に取り組んでいる方に対して、神様は今すぐこんな事はやめてしまいなさいとか、農薬はすぐに全廃しなさい。と仰っているわけではありません。
このことは人間が抱えている多くの問題の中の一つであり、神理、宇宙の理に適っていない職業は今すぐやめろと言われてしまったら、現代人はほとんどの人が失業してしまうでしょう。
今あるシステムの中で誠実に仕事をしながら、皆で知恵を出し合って宇宙の理に適っている姿へと変わっていくことが必要と言うことです。
何事も大量生産、大量消費、大量廃棄で成立している経済は、本来必要の無い不自然な循環を起こしているものですので、神様は『幻の経済』と表現されました。
幻ならばいずれは消え去ります。その時は刻一刻と近づいています。
一瞬にして、今まであった物が全て消え去ってしまったと人は感じるかもしれません。
ですが、その時人は本当に必要な物が何であるか、気付くことができるのでしょう。