自然体であるために
家の中の神棚の札のみの神ではなく、神は何処へもおられるゆえ。
真の信仰心があれば、いつでもどこでも神意を感じながら行動できるようになります。自分自身が望めばそこがお宮になり神宿るわけです。
逆に神棚をいくら立派にして、神札をたくさん並べていても、真の信仰心が養われていなければそこに神は宿りません。
真の信仰心とは、先述の『自然体』であってこそ宿るものです。宇宙と一体である私たちは、良い状態、『自然体』であれば、自分自身が神意を感じるアンテナとなります。
それが古代日本人の姿でありましたし、これから私たちが目指していく姿でもあります。
こうなれば、神は何処にでも存在するという境地に至ることができますので、神社や神棚も本質的には不要ということになります。
ただ、そこに至るにはこれから先、人が長い時間をかけて精神的に成長をしていくこと、言い換えると霊的進化を果たすことが必要ですが、今すぐに真の信仰心を完全に会得することは祭祀王である天皇陛下が真のお役割を担うことができていない現状においては、現代人のどんなに立派に見える人にも難しいのではないかと思いますし、かく言う私もそのような境地に至っているわけではもちろんありません。
ただ、そこを目指すことは今すぐに万人が始めることができます。
真の信仰心を宿し自然体となるためにお勧めしたいことを次にまとめておきます。
日々神棚に向かい手を合わせる
神意をいつでも感じられる状態にあれば、神棚は要らないと書きましたが、物事には順序があります。
三次元世界の住人である私たちは目に見えない物を実感しにくいですから、神棚、お札という物質を介して信仰心を養おうとすることは非常に有効です。
姿勢を正し呼吸をゆっくり、力を抜いてリラックスした状態で、日々の反省と、生かされている事への感謝、他者の幸せを祈りましょう。
祈りを捧げる時は手を合わせてください。
手を合わせるのは『元一つ』であることの型示しとなります。型を実践しながら、宇宙と一体であることを意識しましょう。
最初は型のお参りであっても、1年も続けば、何か目に見えない存在に護られている事を自分自身感じることができるようになってきます。早い人なら数ヶ月で実感できるかもしれません。
先祖供養を怠らない
日々仏壇に手を合わせ、ご先祖様の成仏、魂の向上を祈りましょう。
『元一つ』なのであれば、先祖も自分自身の分身と言えます。実際自分の魂がかつて自分の先祖としてこの世に生きていたかもしれません。
供養とは共に養うことですから、先祖の魂を供養し続けることは、実は自分自身の魂を養うための行いでもあります。
ご先祖様があってこそ自分があることに対して感謝の心が常にあり、人として成長を図り誠実に生き、『自然体』を体現していれば、やはり仏壇・位牌を介した先祖供養も極論では必要が無いのかもしれませんが、神棚の神様と同じで型があることで人は心を向けやすく、行動もしやすいですから、本家とか分家とか、長男とか次男とかにこだわらずどの家庭にも仏壇があることが理想だと思いますし、『自然体』に近い人ほど型としての先祖供養を蔑ろにはできないはずです。
神棚で手を合わせる事と同じで最初は線香を立てて手を合わせるだけで構いません。
線香を立てることも難しいなら手を合わすだけでも良いですから、とにかく続けてみてください。
何事も3日坊主とならず日々続けることで本物が出てきます。