日月神示が現実となる
神は人間に、文字、言葉、心、頭脳、数学、そして、緻密に計算されつくされたような肉体を、与えられ、他の動植物、生命体はこの地球と人間が調和されるべくつくられたり。
今の文明あるは、人間の力と思うなかれ。
人間は他の動植物より、賢く、志高く、魂も清くあらねばならぬ。
手足があるも、目、耳があるも当たり前にあらず、考える力があるも偶然にあらず。
神は、人間に、我よからば良しの心になく、人に対する思いやりや、優しさ、人への奉仕心を持つを望まれん。
なれど我欲にて人に与えるは損失とみなし、人に与える事を嫌い、己より優れた能力、財産をもつものを妬む。
さなる狭量さを改心させるため、時に試練、苦労、禊を与え、気づかせんとす。
試練の末に、器を大きくするものと、更に狭量さを増すものと道はわかれゆく。
試練も苦労も、幸福を得るための道筋なるを気づけよ。
人にやさしく奉仕せば、必ずや己にかえりくる。
これから、地球の自浄作用はさらに強くなりゆくなれど、それも、人間が地球を大切に優しくしていたなら、必要なきことなり。
人間は自ら、混乱の道を選ぶこととなりにけり。
何年、何十年かかるやわからぬ立て替え直し、それに耐えうる魂となれよ。
このブログの読者の方には日月神示を読まれた方も多いのではないかと思います。
木花咲耶姫様からの御神示でも東京が更地になることや、隕石が降ってくることなど、警告がなされていますが、日月神示は、もっと厳しい表現がされています。
一時は食べ物もなくなるが木の根でも食べて辛抱しなさいと言うようなことや、人の過ち全てが正されると示されています。
今の日本人には中々理解しがたい内容かもしれませんが、まだ読んだことの無い方は一度目を通してみてください。
日月神示に書かれいるようなことが起こることを覚悟しなけれればならない時が来ています。
しかし、太難は小難に、小難は無難にできるよう、自分自身の魂の浄化に努め、懺悔と祈りを繰り返しましょう。
このような御神示が示される程に事態はひっ迫している事を忘れてはならないのです。