魔が入り込む
大元の神は、この宇宙に善と悪の神をつくられたり。
悪というも現世の悪にあらず。調和をもたらす為の悪ならん。
人間とて同様なり。嫉妬、ひがみ、怒り、不満、様々なる欲望や悪心与えられたり。
すべての人間がもしも悪の心にて生きるなら、この世はなんと楽なるや。
言いたい事を言い、やりたい事をやり、欲望は剥き出しにて悪事も平気となりぬれば、神の怒りを買い、この世は、滅亡せん。
なれど、善人ばかりでも、発展も成長もなくやがて朽ち果てん。
人は、他者の悪を見、気を引き締めん。
戦争の経験や、他国の戦争、テロをみて、戦争の悲惨さを感じるものなり。
怒りて、己を見失いそうになるも、理性にて抑えらるるなり。
悪心を自ら諫め、抑える術見つけてこそ成長せん。
己の悪が顔を出さば、素直に反省し、悪の顔を出さぬ己となる、或いは消滅さすことがこの世を生きる意義でもあり、魂の位を上げることとなりにけり。
神様は人間の弱さをよくご存知です。
犯罪に手を染める人、殺人の罪を犯す人でも、はじめから悪人ではなかった筈です。
運命学的に見ると生まれるときの条件はたったの6通りしかありません。
善人も悪人も同じ条件です。
自分の生まれた家の環境や、幼稚園、学校、社会の環境での歪みが犯罪者をつくりあげるのです。
一人一人の持つ悪波動が共鳴を起こし、社会が犯罪者を生み出しています。
『魔が差す』と言いますが、まさに魔が入り込み、普段、善人としてい生きている人が悪人となってしまいます。
人間は魔にとりつかれやすいのです。
ちょっとした心の隙間に魔が入り込み、普段大人しい地味な人が、とんでもない事件を起こしたりします。
自分たちの中にも犯罪者になる要素があるということを、肝に銘じておきましょう。
魔の入り込むことのできない美しい魂を目指したいものです。