神話の真実に迫る・その21
イサナギイザナミの、フタカミの努力は実り、豊かな1500の村落をつくりあげました。
もともとあった村落を入れると3000に及びます。
その村落ひとつひとつに代表者であるムラヲサ(村長のようなもの)を配置されました。
大変な改革をフタカミは、成し遂げられたのです。
イナサギ、イサナミに第一子が誕生されましたが、女の子でイミナはヒルコ。
その後ワカヒメ、シタデルヒメ、タカテルヒメなど、いろいろと、呼び名がつきました。
ヒルコはツクバのイサミヤで誕生されました。
しかしそれは今で言えは、イサナギ、イサナミにとって厄年のようなものでした。
それにはもっと重要な意味があり、ヒルコの養育について占うことになりました。
その頃の占いと言えば天に直接お伺いを立てるものであり、その結果その子のためにも親元から離して育てることになりました。
可愛い我が子、しかも初めて授かった我が子を手放したい親などいる筈もなく、フタカミの苦悩は察するに余りあるものです。
ヒルコは捨て子とされている説もありますが、実際は悩みに悩まれた末、天の御意志に従って、フタカミの信頼も厚く、信じるに値するカナサキ(近畿地方のクニカミ)にヒルコの養育を委ねられたのです。
カナサキに関してはまた後ほど述べると致しまして、養父カナサキの下で大切に育てられたヒルコ(ワカヒメ)は後にいろんな意味で、フタカミやしばらくしてから生まれることになる弟たちを助ける立派なヒメとなられるのでした。
神話の真実に迫る・その22
イサナギイサナミはこのクニの再建のため、全国を巡業され、ひたすらタミのため努力され、混乱をおさめられたのです。
しかし、ヒルコ(ワカヒメ)は誕生されたものの、クニを継ぐ子にはまだ恵まれませんでした。
またイサナミの父親であるタカミムスビのトヨケはクニトコタチを子孫とする氏(ウシ)は1500人に増えても、その中にタミの悩みや、苦しみを本当に理解する指導者がいなければ人々の嘆き、苦しみを解決できないのではないかと考えられていました。
ハラミ山は富士山の事ですが、富士山のことに少し触れてみましょう。
富士山はハラミ山、天のカグヤマ、大日山、藤山などいろいろと呼ばれてきました。
縄文時代はまだそんなに高くはなく、噴火を繰り返し今の高さになりました。
太古の昔には富士山には千代美草という薬草があり食べると長命になるという薬草でしたが、度重なる噴火で無くなってしまいました。
富士山は、日本国の象徴です。
この富士山と日本の天皇家は人間天皇となられる遥か以前の神代の時代から深い関わり合いがあったのです。
初代クニトコタチがハラミノミヤにカグ、タチバナを植えた事からカグヤマと呼ばれるようになり、トヨクンヌはトシタクニ(ハラミノミヤの古名)に住み長命を保ったことから後にアマカミにとなられるアマテルはハラミノミヤに都を置かれることになるのです。
富士山はこのクニが始まったときから一緒に歩んできたともいえます。
トヨケは今は国で一番高いと言われるハラミヤマに登り国々を見渡しました。
八州(日本の洲の数)は、人口もいろんなものが増大し続け、この世は豊かになったものの、それと共に人間としてのミチから外れてしまうタミもふえてきました。
その事を、父親のトヨケが悩んでおられるのをよくご存知のイサナミは、立派な後継ぎが欲しいという気持ちを強くされたのです。
フタカミはクニを豊かにして、混乱をおさめはしても跡継ぎがいなければ先の楽しみがありませんと話合われたのです。
神話の真実に迫る・その23
イサナミの父トヨケは、長くイサナギイサナミに後継ぎができないこと深く心をお傷めになり、フタカミの世継ぎの誕生ができるよう、ナカクニ(今の奈良)のイトリヤマにヨツギヤシロを新造され子種が与えられるよう、日々祈願されたのです。
イサナギイサナミもハラミヤマに登り、朝日の出る東に百拝をかさね、ハラミヤマ山頂のコノシロイケの池の水で左眼を洗い、日霊、右目を洗い、月霊にお祈りされ真澄のカガミ2枚を、日と月にたとえ両手にかざし、乞い願われたのですが、それでも中々子宝に恵まれませんでした。
しかし、時が流れトヨケやフタカミの祈りはようやく叶えられ、待ちに待った後の名君の誕生となりました。
男子の御子がお産まれになったのです。
イサナギの妹のシラヤマヒメ(キクリヒメ、ココリヒメ)が御子を産湯につかわせ、アカヒトというものが、絹糸をひいて献上し、産着が作られました。
以来伊勢神宮の神官の神服を織る糸は三河国赤引神調糸と定められているのです。
御子の誕生はフタカミを初めトヨケ、諸臣、タミを歓喜の渦に包んだのでした。