神話の真実に迫る18・19・20

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神話の真実に迫る・その18

時は流れ六代アマカミになられたのは、オモタル、カシコネのフタカミです。

その頃は中央集権政治の基盤が確立した時でした。

中央の都はヲウミ(滋賀県)に置かれていました。

オモタルの時代思わぬ気候変動が起こり、農作物が著しく減少したのです。

代々のアマカミの導きで飢えから開放され、雨露をしのげる家もあり、暑さ寒さを防ぐ衣類、いろいろな道具も増え、装身具などもあり、豊かな暮らしをしていました。

ですから急に訪れた、気候変動による食糧危機にただ混乱するだけでした。

当時水田耕作をいち早く取り入れているタミもいましたので、オモタル、カシコネのフタカミは、アマカミとしては始めて全国各地を回られ、気候変動に対する工夫の方法や、水田耕作の方法などを指導してまわられたのです。

オモタルのそんな苦労とタミの苦境をなんとか助けようとされた努力も、すべてのタミには行き渡りませんでした。

オモタルの教えをいち早くとりいれ努力した人々と水田耕作の面倒くささからなかなか取りかからない人と分かれていたため、努力を怠っていた人たちは当然気候変動の影響をもろに受けることになったのです。

そもそも、稲作が始まった時点からまじめにはたらく人と、怠ける人との間には少しずつ格差が付きはじめていました。オモタルの努力も虚しく、ついに自分の怠慢は棚上げにして、生活困窮の苦しさから豊かな人への憎しみ、妬みとなり、食料を強奪したり、それだけでなく殺人まで犯して強奪するものも増えてきました。

クニトコタチの教えから考えれば殺人などとんでもないことです。

そのような罪を犯した人に対してはやはり何らかの罰を下す必要がでてきてしまいました。

助け合うこと、上に立つものはタミの幸せを考えて行動することがトコヨクニの理念ですから、これは大変に難しいことでした。

しかしまじめに努力し正直に生きている人々を優先しなければならないのも事実であり、クニトコタチの教えは充分承知しつつ、且つ、人の命を奪うことは自然の法則も犯す事だとわかっていながらも、このままではタミを守れずかつクニを鎮めることができないと悩まれた末、時のアマカミであるオモタルは苦渋の決断をされたのです。

トノオヲシテに背いてしまうことを覚悟された上での、強い決断でした。

罪人を罰するのにオノを用いたのです。

クニトコタチが建国されて以来、自然の恵みアマカミとタミの互いの感謝と信頼で成り立っていたこのクニの伝統は長年に渡り続いていたのですが、ここではじめて人を罰し罪人を斬らねばならないという事になってしまったのです。

タミの生活の安定を一番に考えていたオモタルの心情はいかばかりか、はかりしれません。

混乱はしばらく続くこととなり、そのクニの混乱を治めるのは七代アマカミ、イザナギイザナミのフタカミでした。

ここまで登場した代々のアマカミについて

トコヨクニを建国した初代アマカミであるクニトコタチの8人の子が各地方を納めその子孫がアマカミとなっていきました。

初代アマカミ・・クニトコタチ
●2
代アマカミ・・ヲウミ(滋賀県)を治めたクニトコタチの子でありエノミコトがクニサッサ(2代目アマカミの名乗り名)となられましたが割と早死で、兄のエノミコトが亡くなられたあとはトノミコトがクニサツサとなられました。

●3代目・・トヨクンヌ
●4
代目・・ウビチニ、スビチニ(トツギの儀がさだめられ、フタカミとなる)
●5
代目・・オオトノチ、オオトマエ
●6
代目・・オモタル、カシコネ

ここまでは、親から子に直接アマカミが譲位されていましたが、6代目オモタル、カシコネに跡取りができなかったため、クニトコタチの子で東北から関東までを統治している指導者タカミムスビの子孫である、タケヒトとイサコが7代目アマカミとして選ばれました。

神話の真実に迫る・その19


何とかクニの混乱を治めようと努力されたオモタルですが、結果クニトコタチのおしえに反し罪人をオノを使い罰しなくてはならないような状態に陥ってしまったのです。

オモタル、カシコネには後継ぎができませんでしたが、巷ではオノを使って人を殺したからではないかという噂が立ったり、後継ぎができない事がタミの不安をあおりました。

この当時アマカミという存在はタミにとって絶対的なものでしたし、アマカミの指導で物事が進んでいましたので、タミにとって、アマカミに子供ができないということは、大きな不安に繋がり、ますます混乱する事になったのです。

ついにオモタル、カシコネは、ここまでトノミコトの子孫で継がれてきたアマカミを、タカミムスビの家系である、タケヒトとイサコに譲位のミコトノリ(次のアマカミに位を譲ることを告げること)を発せられました。

その名乗り名は、イサナギとイサナミです。

オモタルはナカクニ(近畿、葦原のナカツクニ)をお譲りになられ、

『ナカクニには1500の稲作田があり、毎年租税が納められる仕組みができています。

ミツホ(租税)をクニのマツリゴトの予算として運営してほしい。』

と、イサナギとイサナミに仰せになりました。

少し前まではクニトコタチのおしえであるトノオシテのみで、クニをまとめていくことができましたが、一度豊かさを味わったことで、急な食料危機などの時に耐えられず、みんなで分け与えるより、人のものを奪おうとする者が、出てきていました。

そのため当時、人を切るためのホコはありませんでしたが、カネリ(鍛冶師)に罪人を罰するためのホコを作らせ(サカホコ)とし、殺人などの罪をタミが起こさない為にも戒めとする意味でも、サカホコとトノオシテを2種の神宝としてお渡しになられ、イサナギ、イサナミはそれにてアマカミに就任するウキハシ(大いなる橋渡し)を得られたのです。

フタカミは新婚時代((茨城の筑波山)のイサミヤに居を定められ、クニの混乱を治めるため巡業される事になるのです。

神話の真実に迫る・その20

食料事情の悪化や、それによる減収、後継者問題での世情の混乱など、大変困難な状況の中、イサナギ、イサナミのフタカミは七代目アマカミに就任されました。

フタカミはまず、食料問題を解決しなければなりませんでしたが、そこで問題が発生しました。

タミと意志の疎通を図ることが大変重要だったのですが、言葉を上手く発することができなかったり、なまりがあって、言葉が通じない事が多々あり、それが技術指導の妨げとなったのです。

水田耕作は陸稲より大変ですが4倍以上の収穫が望めます。収穫が多ければ、蓄えることもできます。

当時の食料問題を解決するには低地の湿地帯に水田開発を行うことが絶対に必要でした。

そこで、フタカミは技術指導を行いつつ、国語教育も同時にはじめられたのです。

そしてアワウタが制定されました。

アワウタを歌えば自然と音声が整い言葉をきちんと発することかできるようになりますので、巡業先でもアワウタを広めていかれたのです。

日本は葦原の国と言われるほど低地に湿地があり葦(湿地に茂る植物)がたくさん生えていました。

その葦を抜き取り、田んぼにするのですが、人間の力だけでは作業が中々進みませんでしたので、ウシ、ムマ()の力を借りることで、田返しも楽になりました。

農耕のための道具や荷物を運ぶのにも役にたち、草刈りの後の処理にもとても役立ちました。

少しずつ、水田耕作を行う準備は進みましたが、まだもう一つ大きな問題があったのです。

苗代作り、稲田作り、田植え、水の管理など何をするにも適切な時期でなければなりません。適切な作業を怠れば収穫は減ってしまうのです。

ですから少しの油断も大きい影響を与えてしまうのです。

中には怠け心のある人がいたり、働らく意志もなく人の収穫を狙う人もいました。

水田耕作を成功させるには治安が良いことも大切な条件だったのです。

悪事を働らき、この世を乱すものは何人であれサカホコで罰しそして真にトノオシテの教えを守るタミを増やしていくという強い信念を持ってフタカミはクニの改革に臨まれたのです。

そこにはタミを一番と考えるアマカミのタミへの愛がありました。

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