真実の神話に迫る・六代アマカミの時代の補足
六代アマカミオモタル様の時代にお話しを戻してみます。
クニトコタチ様の8人の皇子トオカミエヒタメのなかの、長男ヱノミコトが二代目クニサツサ(国の代表)となられましたが、亡くなられ、弟のトノミコトが代わって二代目アマカミ、クニサッサとなられました。
その後は、トノミコトの子孫により、六代目まで、受け継がれていきました。
六代目オモタルは女尊カシコネと共に八方諸国をまわられました。国を守り民をまとめるためです
東はヤマト(およそ茨城県から三重県あたりだと思われます)からヒタカミ(仙台)、ツキスミ(九州の古名)、筑紫の葦原(未開の地)、阿波からソサ(紀州)、北の国々からホツホコチタル(山陰)まで、広範囲を治め、勢力的に行動されました。
ある頃から、気候変動による食糧難となり社会は混乱となり、人を殺して食糧を奪ったり、強奪も起きはじめました。
人間にとって食べるということは、命を維持することですので、それが脅かされるのは、人のものを奪ってもと考える人が出てきても不思議ではありません。
飢えに苦しむと言うことは、戦争中の日本の方なら理解できるでしようが、飽食の現代人には、理解出来ないことでしよう。
さらにオモタルに、後継ぎが出来ないことも世の中の不安をさらに加速させていました。
世の中はだんだん混迷をきわめ、罪人を切って罰する事で事態を治めようとしましたが、そのような道具はなく、やむなくオノで罪人を切られたのでした。
クニトコタチが建国して以來、自然の恵みや朝廷、民の感謝の心のみで、クニが運営できていた、日本国の誇れる伝統はここで脆くも崩れ去ったのです。
そのため立て直しのための対策が必要となりました。
跡取り問題を解決するために東北地方のクニサッサ、タカミムスビの家系からアマカミを出すことになります。
クニトコタチの皇子の中でタノミコトはヒタカミ(東北地方)のクニサッサとなられその後タカミムスビを代々名乗り長く続く名家となりました。
五代タカミムスビのトヨケ(タマキネ)は頭がよく、また人間としても卓越した人物でした。
ヒタカミにおいて農作物が減収となった時もトヨケは初代アマカミのクニトコタチの精神に立ち戻り、社会を立て直し、食糧問題を解決したという実績があり、結果トヨケは、(大嘗祭)を行うことを認められ、ヒタカミノクニの混乱を治められたあとは、クニ全体の立て直しにも力を発揮されたのです。
この頃、作物減収と六代目アマカミに世継ぎが誕生しないことがさらに民の不安を募らせていました。
そこでトヨケはトヨケの娘のイサコ姫に初代タカミムスビの皇子であるアメカガミの曾孫にあたるタカヒト(後のイサナギ]とメアハセ(結婚)し、アマカミを継ぐことを提案され、朝廷の了承も得られました。
こうしてタカヒトとイサコヒメは結婚されることになりイサナギ、イサナミの時代へとなっていきます。