神話の真実に迫る16・17

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神話の真実に迫る・その16

三月三日にコシノクニノヒナルタケノカンミヤと呼ばれた場所で日本はじめての結婚式が行われたのです。

それは現在の福井県武生市南城町の境界あたりにある越前富士といわれる日野山の日野神社あたりのようです。

御二人にならい朝廷もタミもみな妻を迎え、結婚式の風習はクニノ、ノリ(法)となったのです。
新しい家族制度がここに誕生したのです。

その当時何月何日と、定められたのはとても不思議に思いますが、その当時暦はありました。

勿論現代のように正確な暦ではなかったかもしれませんが、その当時の人々は、天候や季節の移り変わりなどに大変敏感であり、それによって農業漁業、林業など行っていました。

ですから気候、天候、そして大まかであっても月日を知ることは、当時の人々にとっても大変重要だったのです。

季節の景色の変化や温度の変化で季節を判断し、昇る太陽と、沈む太陽で一日を判断しそのうち、新月から次の新月までを朔望月と呼び、こうして年、月、日の概念がうまれ、太陰太陽暦が生まれることになるのでした。

神話の真実に迫る・その17

ウビチニ、スビチニはアマカミの威厳をタミに知らしめ信頼を得ており、毎月の1日には代々のアマカミへの感謝のお祭りを欠かす事なく行うようになりました。

次にアマカミとなられたのは、オオトノチ、オオトマエのふたかみでオオトノチは央殿(政殿)におられた時、門の前で出会った女性をひと目見て妻にしたいと思われ、すぐに求婚されたという説もありますが、実際にはお見合いに来られてまとまったということのようです。

大きな祭殿が建てられ、結婚の儀が執り行われました。

オオトノチは央殿のうちにおられたということで、男は殿、オオノマエは門の前にいたということで、いずれ女性を、〜の前という言葉に繋がっていきました。

五代アマカミの時代はかなり長く続きました。稲作はウビチニ、スビチニの時代から全国に広がり建物も段々大きく立派になり、職業もいろいろな職業が増えてきたのです。

表面的には初代アマカミのクニトコタチがおつくりになられた(トノオシテ)の教えで、政治を行うことができていました。段々生活が向上する中で、クニのすべての人が満足できている訳ではありませんでした。

しかしこの頃の政治はタミの生活をより良くするためにということを一番に考えた政治ですから、不満分子は言わば怠けた結果の自業自得の様な人が多かったのですが、五代アマカミの時代から水面下で少しずつタミの間に格差が広がり、トコヨクニの理念に沿わない問題を抱えるようになっていきました。

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