神話の真実に迫る・その36
ネ(北)の后、モチコ、ハヤコ姉妹、そしてソサノヲは共に、アマテルとセオリツヒメを恨んでいました。
特にモチコは自分が長男を産んだと云うのに、なよなよとしたセオリツヒメ(ホノコ)に一心に愛を注ぐアマテルの態度や、正后になれなかった悔しさ、恨みは日ごとに増していきました
ネのクニから結婚が破談となり、失意のうちに、帰ったソサノヲに、モチコは巧みに近づき取り込んでいきます。
妹のハヤコは後にソサノヲの縁談の相手を次から次へ、殺害する執着の愛を持ってしまうのです。
アマテルとセオリツヒメを憎んでいるということで、3人の意見は一致しました。
クーデターの相談をしているとき、丁度そこを通りかかったセオリツヒメの妹のハナコは全ては聞き取れなかったものの、慌てた3人のただならぬ態度に聞き取れたすべてと、3人の、様子の一部始終を姉のセオリツヒメに報告しました。
心優しいセオリツヒメはまたもそのただならぬ気配を胸に秘め、アマテルの留守に姉妹を内宮にお呼びになり
『あなた方の心はキミから、遠ざかっておられます。ここに居場所はありません。ツクシ「九州」のウサ「現在、宇佐神宮」に行き、反省しながら、真面目に生きなさい。時が来たら呼び戻します。今は私の言う事をきいてください、そして、長男のタナキネは私が預り、娘のタケコ、タキコ、タナコ「現宗像三女神」を連れていき、くれぐれも静かに過ごすのですよ』と諭すように言い聞かせ、しぶしぶ姉妹は宇佐へ行ったのです。
おさまらないのはソサノヲ、散々乱暴な行動を取ったあげく、セオリツヒメに、告口をしたとハナコを憎みハナコの部屋に屋根から馬をなげいれたのでした。ハナコは織機にぶつかり怪我をして死んでしまい、このことから、アマテルが事情を知ることになったのです。
※余談ですが福岡の宗像神社には祭神としてモチコの娘三人が祭神となっておられますが、なぜ三女神になったのかは、よくわからないところです。
ムナカタは造船に秀でたシマツヒコの分家で九州北部に本拠地をもち、娘はアマテルの后に上がっています。
七代アマカミイサナギから海の神の三神を祀るようにとのミコトノリを受け、現在の宗像神社を建てました
。祭神はソコワタツミ、ナカワタツミ、ワタツミが神社の創建のときの祭神でした。
いつ、どのようにして祭神が入れ替わったかはわかりませんが、このように、いつのころからか祭神が入れ替わっている神社が結構あるようです。
神話の真実に迫る・その37
セオリツヒメの妹であるハナコの死をきっかけに、アマテルは一部始終を知ることになったのです。
愛は正后にあるとはいえ、その妹であり、后でもあるハナコの死をアマテルは大変悲しまれました。
またモチコ、ハヤコも后には違いありません。その后達と、こともあろうに、自分の実の弟であるソサノヲがクーデターを企て、さらにハヤコとは密通をしていたこと、そして過失とはいえセオリツヒメの妹のハナコの死の原因を作り出したこと、その事実にアマテルは悲しみと共に衝撃を受け、打ちのめされ、イワムロ(岩窟)にお隠れになり、岩戸を閉鎖してしまわれたのです。
外に出ようとしないアマテルに重臣たちは色々と説得を試みましたが、最終的にはツワモノヌシ(トヨけの子で、ネとサホコの事件の解決を朝廷に求めて来られ、そのまま、カナサキのもとで教えを受ける事になった人物)はイワムロに注連縄を張り巡らせ、お祈りを始めました。
そしてアマテルに『な、帰りましそ』と申し上げました。タケミカヅチ(武術に秀で名称としてカナテの名を与えられ、後に、9代アマカミの右大臣となられた人物です)がお迎えに行き、手をひいて、アマテルはやっとイワムロからでてこられたのです。
これが神話の天の岩戸隠れのもとになったのてす。
高天原(宮中)ではソサノヲがカミハカリにかけられ、罪状が決まりました。ミキダレ(三段死)三回死ぬ程の重罪です
そこにセオリツヒメから申し出がありました。アマテルの御心を推し量られたのでしょうし、またそもそもお優しいセオリツヒメでした。
『どうぞ死罪だけはお許しください。』
セオリツヒメの必死の訴えに再度話し合いが行われ、
『ほんらいは重罪で死罪は免れぬが、正后のたっての情状酌量の願いに、罪状は追放刑とする』と言い渡されました。ソサノヲは髪や爪をぬかれ、流刑となるのです。
神話の真実に迫る・その38
ソサノヲは流刑となりました。以前、父イサナギから、ネのクニとサホコチタル(山陰、後の出雲)を治めなさいと言われていたこともあり、自然とサホコチタルにむかいました。
その頃、キサキ下りの処分を受付、九州の宇佐(今の宇佐神宮)に謹慎の身となった、モチコ、ハヤコは、アカツチ(九州北部の宇佐市を中心に、栄えた豪族)がウサノミヤを改築し、過ごしやすいように、気を、配られたにもかかわらず、宮中で自由に、暮らしていた二人の后のわがままさに、アカツチは手をやいていました。
二人の后が抜けた後に、新しい後任の后が決まったとの知らせを受け、帰還は叶わないと悟ったとき、二人は宇佐から出奔したのです。
しかしどこからか二人は、別行動をとったようすです。
ハヤコは、出雲へ行き、姉のモチコは九州北部のエゾにいったと考えられます。
福岡県朝倉郡にエゾ宿という集落があり、朝倉関があったと伝えられています。
モチコはマスヒメモチコとも言われ、タヂカラヲにより福岡の筥崎宮に祭られたと言われています。
一方ハヤコは出雲の以前、問題を起こし、死刑を言い渡されたものの、姉のモチコの働きで、死罪を逃れたシラヒトと、悪友コクミのもとへ行き後にオロチと言われるほどの、執着心で、ソサノヲの婚約者を次から次へと殺害し、それがやがてハタレの乱の原因となっていくのです。