神話の真実に迫る7・8

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現代にも受け継がれているトコヨクニの理念

クニトコタチ様によって建国された、縄文時代の日本国『トコヨクニ』は、自国内においても争うことのない、和する事を理念とした国でした。

この理念はおよそ6000年前から、3000年もの長い間続いたのです。

ですから日本人の根底には、助けあい、思いやりを持っていきること、神、お上には逆らわないという無意識の特性があります。

日本人は、国の政策に対して不満があったとしても、我慢して受け入れる傾向が強いのは、トコヨクニの理念が太古の昔から、深いところで受け継がれているからなのです。

神話の真実に迫る・7

人がただ食べるという最小限の生存のために生きていた時代は、言葉もなく文字もなく、文明の発達はほんとにゆるやかでした。
と言うと、知恵も向上心も無かった時代と思われるかもしれませんが、決してそんな事はありませんでした。
その当時の人々は現代人のように物質欲、名誉欲、金銭欲などは全くなく、人と比べる事もありませんでした。
土地は、地球のものであり、すべての人のものであり、ここは自分の土地であると主張する人も誰もいませんでした。
神様も土地は、人間個人の誰のものでもないと仰せになられていますが、いつからここは自分の土地だと主張するようになったのでしようか
結婚の制度はなく、子供はみんなで愛情を注ぎ育てていました。
そして、食べ物も、自然も、天候もすべては天からの恵みであり、天の御意図であることを悟っていました。
そして波動という言葉は知らなくても、自分が発する波動が自分に跳ね返ってくることもわかっていましたので、いつも天や人々に感謝して生活していました。
神様という概念はありませんが、今では特別な能力のように思われている、いわゆる霊感も、危険を察知する能力も現代人より優れていました。
自分達が偉大な何かに生かされていることも理解できていましたから、偉大な存在に対する祈りを捧げることも忘れる事はありませんでした。
ですから精神性は、現代人よりずっと高く優れていたのではないでしょうか。
人は皆ミナカヌシから生を与えられた平等な存在だったのです。
その中に将来日本を背負っていく神様の代わりとなる能力を持ったクニトコタチが誕生しました。
クニトコタチは衣食住が整えて、もっと人々の生活を豊かにするために言葉もない時代に文字を考え出しました。
それは宇宙の五元素であるウツホ、カセ、ホ、ミズ、ハニを元にした文字であり、それは神の文字であり、神の言葉を表したものであり、ひらがなの起源でもあります。
クニトコタチがトコヨクニを建国した時には、この日本最古の文字が使われ、それによって文明の発達が加速することになりました。
宇宙の五元素を表した文字を使うトコヨクニ、日本の言葉は神様の言葉にとても良く似た誇れる言葉なのです。

神話の真実に迫る・8

日本国を建国したクニトコタチはクニの名をトコヨクニと定め、建国理念、国の方針ようなもの、今で言えば憲法にあたるようなものをつくりました。 
つまりその時文字があったのです。 

そこに書かれていたのは、国民すべてが他者を思いやり天や自然全てに感謝して、より良い生活ができるよう手を取り合わなければならない。
また指導者は、あくまで国民の幸福を一番とし行動しなければならない。
そして国民は、指導者に対しその国民の為に努力される御心をしっかりと汲み取り、互いに信頼、感謝しあわなければならない。 
他者を決して痛めつけたり、踏みつけるようなことをしてはならない。
働くべき時は、皆で協力しあい困難な時は助け合い分かち合わねばならないといったような趣旨のものでした。 

ですから日本ははじまりの時から、聖徳太子が残された「和をもって尊しとなす」の言葉のように、平和な文化的生活を理念に掲げる国なのです。

初代アマカミとなられたクニトコタチが誕生した頃は、縄文時代の初期で旧石器時代の洞窟、岩穴などから地面を掘り下げて作った竪穴式住居でした。 

クニトコタチは、人間が人間らしくいきるためには衣食住が足りている事がまずは大切だとお考えになられました。 
雨や風を防ぎ、安全を守る住居をもっと過ごしやすいものにできないか・・。 
食物を安定して手に入れることができないか・・。と、考えられ、周囲の人々と知恵を出し合い試行錯誤を重ね、住居はよりずっと暮らしやく建て方を考え出し、さらに栗の大量栽培の方法を確立されたのです。

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