神話の真実に迫る12・13

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神話の真実に迫る・その12

クニトコタチやその子供たちからの指導によって、住居も雨水の入らない竪穴式住居が全国に広がり、衣服も麻や、植物をたたき糸にして作るようになりました。イノシシやシカなどの毛皮なども縫い合わせ、冬場は、敷物にしていたようです。

栗も大量に栽培するようになりましたが、とは言え冬場から春場くらいまでをなんとか越せる程度でしたが、それを平等に分け合っていました。

アマカミの指導がよく国民に行き届いていましたので、豊作の時でも、不作の時でも皆で分け合うという精神が浸透していたのです。

その後、陸稲も栽培されるようになりましたが、それでもいつでも主食が安定して手に入るというわけではありませんでした。

話は前後しますがクニトコタチは8人の継子をト、ホ、カ、ミ、ヱ、ヒ、タ、メの方位に送りクニキミ(指導者)としました。

トホカミヱヒタメは現代では神様の最高峰の祓い言葉、あるいは願望のかなう神言葉とされていますが、そもそもは八方を表すもので、太古の占卜にも用いられました。

太古の占とは神様とのやりとりであり、神を宿すものですから、トホカミヱヒタメという言葉に、浄化し神を宿す意味があると考えられたのでしょう。

神話の真実に迫る・その13

クニトコタチの建築技術はトホカミヱヒタメに向かわせた8人のクニサツサ(クニの指導者)やその孫たちの手で発展し、縄文時代の中期には大きな竪穴式住居や、高床式住居も建てられるようになりました。
集落では円になって交流をしますのでその真中にお墓がありました。
縄文時代は、私達が考えているよりもずっと文明が進んでいて、且つ長い時代だったのです。

縄文の前期、かなりの気候変動が起こり海辺の人々は移動を余儀なくされました。
初代アマカミや、その子孫の指導で移動して新しい集落を作っていったのです。
あくまで初代アマカミの考えを忠実に守り、国民の為に必死で動かれたクニサツサと国民の信頼は厚く、生活が安定するにつれ、当然人口も増えました。
みんなで力を合わせること、それが当たり前のことだったのです。
心を一つにしてみんなでいろんな作業に取り組んだのでした。
後にアマカミとなられるアマテルカミのクニトコタチの時代は見本とされる時代でもあったのです。

トノミコトが2代目アマカミとなられ、社会は段々と経済も安定し人口が増えると、それはそれなりに問題もおこりました。
これまで集落の人々をアマカミやクニサツサが直接指導していましたが人口が増えると、それが困難になってしまいました。

指導者と国民の間にズレが生じたり信頼関係が失われないよう、朝廷と国民の間に、取次をする人が必要になってきたのです。
3代アマカミのトヨクンヌの時代、きちんとした決まりごとのようなものを作成し、それによって指導をする人々が出現する事になりました。
はじめての権威のある人の出現でした。

アマカミはその指導者達にこう仰せになりました。
『朝廷と国民の間に考えの相違があってはならない!アマカミが国民の心を間違ってとらえてはならない、国民もアマカミの心を間違ってとらえてはならない。もしアマカミが誤っていることがあるならそれをきちんと伝えてほしい。そして、アマカミと国民の間の意志の疎通をしっかりと行う、あくまでアマカミの代理以上のものではないことを忘れて権威を振りかざしてはならない』

アマカミは国民が如何に心地よく幸せに過ごせるようにお考えになられ、カミ、ヲミ、タミの三階層をおつくりになられたのです。
しかしそれまで国民の間は平等で権利欲や名誉欲などはありませんでした。

アマカミの代理という立場は、国民からは上の地位であるという意識がここではじめて植え付けられたことはまちがいありません。

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