神話の真実に迫る10・11

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神話の真実に迫る・その10

初代アマカミであるクニトコタチの時代、今で言う東北地方に集落が多くあり栄えていました。

クニトコタチは自ら東北地方に出向き、ハコクニ(ヒタカミとも言われる)と呼ばれるクニをつくり、民をまとめることにしました。

クニの中心にはミナカヌシが祀られ、マサカキ(神棚に供える植物)やタチハナの木が植えられました。タチハナは柑橘類でクニのしるしを意味するものだったようです。

マサカキ(榊)を植えて枯れるまでの期間を見て年月の判断もしていました。

ハコクニではクニトコタチの子孫が繁栄し、その長がタカミムスビと名乗り七代続いたそうです。

その後もヒタカミノカミ(ハコクニノカミ)としてかなり長きに渡って、後世に受け継がれていたようです。

クニトコタチは、このハコクニを足がかりとして、トコヨクニのクニづくりを進めていかれました。

そして、クニトコタチは宮をヲウミ(近江)につくり、トコヨクニの朝廷としました。

クニトコタチは8人の子をもうけましたが、その子達に、何をするでもまず国民の生活と安全を第一に考え、国民と協力しあい工夫してこのクニの発展に尽くしなさいと教え各地に派遣されました。

この方々の働きもあり、急速にクリの栽培と竪穴式住居が全国に広がっていったのです。

日本だけでなく海を越えた方もいらしたようです。

日本の歴史の常識では、文字や文化は外から外国から伝わってきたものだとされてきましたが、その認識が少しずつ変わってきています。

日本の最古の文字も発見され、研究されており、当時の日本人の暮らしぶりも分かってきました。

外国人にも最古の国は日本であると考え研究をされている方が多くいらっしゃるようです。

いずれ、世界最古の国は日本にあったと証明され、トコヨクニの建国理念が悠久の時を経て改めて世界に広がる時が来るのではないでしょうか。

神話の真実に迫る・その11

初代アマカミ、クニトコタチはこの島国の国民がみな仲良く、より良い暮らしをするにはどうしたら良いかを真剣に考え人に尽くしました。

クニトコタチが示した理念は後のアマカミ様や子孫にも受け継がれ、文化は少しずつ発展したのです。

その当時の日本人の暮らしぶりはどうだったのでしよう。

三内丸山遺跡が発掘されてから、縄文時代に対するイメージは随分変わり、色々なことがわかってきました。

まず食生活は私達が考えるよりも豊かなものでした。

森や野原では、クリ、クルミ、ドングリ、ナラ、カシ、シイ、ヒシの実、カヤ、ヤマモモ、ヤマイモ、サンショウ、ノビル、タラの芽、ウド、ワラビ、ゼンマイ、ユリの根、カタクリの根、グミ、果実類他沢山の木の実が採れました。

自生している植物を食すだけでなく、当時日本には自生していなかったリョクトウ、ヒョウタン、シソ、エゴマなど、簡単な栽培もしていたようです。

海に近い所ではまぐろ、マダイ、クロダイ、スズキ、タコ、ウニなども食べていたようです。

また貝塚からは350種類もの貝の種類が発見され、川の近くではフナ、コイ、淡水魚、釣り道具やモリなど、魚を取る道具もすでにありまた。

フグの毒の抜き方も考えられていて、この時代にすでに食べていたようです。

イノシシ、シカ、クマなどの狩りもしていました。狩りの道具として犬も使っていたようです。

土器は木の実のアク抜きに使われたり、煮物や、焼き物をするのにも使われました。

パンを焼くような土器もありました。

主食は主にクリでしたので貯蔵するためにも使われていました。

医食同源を自然と取り入れ、新鮮で、農薬や添加物の全く無い、ある意味優雅な食生活だったのです。

そして後に稲栽培もはじまります。

それは飢えから解放されることも意味していましたが、それまでは無かった感情を持つきっかけにもなりました。

それまでおおらかに、ゆったりと暮らし栗の収穫期や家を建てる時に皆で力を合わせればよく、とても気楽な生活だったのです。

しかし稲が主食となると人々の自立が必要になってきたのです。

稲栽培、米食が広がることによって社会の在り方まで変わっていくことになりました。

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